小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

たましいの安らぎを!

「正しい人の救いは主から来る。 
 苦難のときの彼らの砦から。」

                                                     f:id:koumi2016:20160627201619j:普通   詩篇37:39

<たましいの安らぎを!>     詩篇139篇1~6節 マタイ11:25~30

 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」という主イエスの御言葉に多くの人が「ほっ」とするだろう。みな疲れ、荷が重いと感じているからである。疲れている、重荷を負っているすべての人、私たちを主イエスは招いてくださる。ここで気が付くことがある。それは、聖書には自分のことが書いてあると言うことである。
聖書というのは、遠い国の書物、教会の読み物、神の御言葉という知識かもしれない。しかし、自分のことが書いてあるとは知らなかったという人もあるだろう。またそこで知ることは、主イエスは、自分のことをよく知っているお方だということである。自分のことは一番、自分が知っていると思いやすい私たちである。誰も、自分のこの疲れは分かってくれないと思うことがあるだろう。この重荷は誰も知らないはずだと思うのである。しかし、この私の疲れを私の重荷を主イエスはご存じだから招いてくださっているのである。
 では、その主イエスのもとに私たちが行くためにはどうしたらいいのだろうか。遠い昔に生きた人と思っていては出会うことができない。まず、主イエスが、今も生きておられるということを知ること、信じることである。
礼拝に集い、神の御言葉を聴くことから始まると言ってもいい。主イエス・キリストとは、どのようなお方なのかを知ることからである。主イエス・キリストは、十字架にかかり死なれ復活された。それは私たちの罪を贖うためであると。主イエスのもとには罪の赦しがあると。私たちの重荷は罪と無関係ではないのだと。また、主イエスのもとで柔和とへりくだりを学べ、わたしくびきを負いなさいと言われると。主イエスのくびきを負うということを違う言葉でいえば、主イエスの弟子となるということである。<br>
また、私たちは自分にそれはできるのか? とすぐに考える。しかし、主イエスに学び従うことは、神にゆだねることである。神が足取りを軽くしてくださる。私ができるかできないかではなく、まず、主イエスのもとにきて御言葉を聴き、信じてスタートする。主イエスがそうさせてくださると信じる。それが、神にゆだねるということである。毎主日ごと、礼拝に主が招いてくださっている。いつも主イエスの招きはある。主イエスのもとで御言葉を聴き、主イエスを信じ休もう。主イエスは言われる。「わたしがあなたがたを休ませてあげます」。