あわれみ深い神様
「マリヤは男の子を産みます。
その名をイエスとつけなさい。
この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」
マタイ1:21
<あわれみ深い神様> ルカ 1:39~55
御使いを通して、救い主の母になると知らされたマリヤは、特別な神の介入によって子どもを宿すことにあった親類のエリサベツのもとに足を運びます。 マリアは、エリサベツと直接会い言葉を交わし、自分の身に起こった出来事のすばらしさに感激し、共に喜び合い、主を賛美しました。マリヤのささげた賛美の中心にあるもの、それは神様の憐みに対する感謝です。マリヤが主を心から賛美したのは、主の憐みを深く体験したからです。自分のことを卑しいはしためというほどに、小さな存在であると自覚していたマリアに目を留めてくださった主、イスラエルの民の歴史を省みる時に、どんなに神様に対する不平不満を漏らしても、どんなに神様を侮辱するような態度を取ったとしても、何度でも、悔い改めで父なる神様のもとに立ち返るなら、必ずその罪を赦してくださる主を、その憐みの豊かさを、深く理解し受け止めていたからです。
それは私たちも同じで、私たちが主を賛美し、御名を崇めるのは、主の憐みがあるからです。この世界を創造された主は、どこまでも憐み深いお方です。どんな罪もイエス様の十字架の血の故に、完全に赦してくださる、愛と憐みに富まれるお方です。貧しき者、虐げられている者、弱い者、へりくだった者に対し、憐みの心を開いて、救いを差し述べてくださる恵み豊かなお方です。
安心して、主のもとに来て、重荷を下ろし、主に愛され、罪赦された喜びに満たされて、約束に真実な憐み深い神様を、心から賛美する歩みに進んでまいりましょう。