小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

真の安らぎを求めて

「私は、私の神、主に従い通しました。」

                   f:id:koumi2016:20160627201619j:普通   ヨシュア 14:8

                                  

<真の安らぎを求めて>      マタイ11:25~30

 全人類に共通している「重荷」とは、罪とのろいの結果です。

最初の人、アダムとエバが罪を犯して、エデンの園から追い出され、やがて死ぬことが定められました。土地にはあざみといばらが生え、男には額に汗を流して糧を得る労働の苦しみが、女には生みの苦しみが与えられました。夫は妻を支配し、兄弟同士が憎みあい、民族同士が争うようになりました。イエス様は、「羊飼いのいない羊の群れのように、弱り果てて倒れていた」この地上の人々をご覧になった時、深く憐れまれました(マタイ9:36)。そして、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」とおっしゃったのです。

 私たちはイエス様の招きに応じて、すべての悩み、すべての恥、すべての重荷をイエス様にゆだね、下ろして良いのです。そうすれば、「休み」という「救い」が与えられます。「休み」というのは「安息」であり、ヘブル4:3に「信じた私たちは安息に入るのです」と書かれているように、「救い」を表わしています。つまり、イエス様のこのことばは、救いの招きのことばなのです。罪と呪い、さまざまな思いわずらい、義務、病や苦しみを自分で負わないで、私のところへ持って来なさい。私があなたがたを救ってあげますという意味です。それは、私たちには負って良い重荷と、負ったために潰れてしまう重荷があるということです。私たちを苦しめて潰すのは、罪と呪いであり、その結果からくる重荷です。

エス様が人となってこの地上に来られたのは、神の子が身代わりに、その罪と重荷をすべて負って、解決するためです。「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。」「主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた」(イザヤ書53:4 、6)が実現したのは、イエス・キリストの十字架です。イエス様が私たちの身代わりに、すべての罪、咎、苦しみ、悲しみ、病、のろいを負ってくださいました。この事実があるからこそ、イエス様の招きのことばに希望があり、平安が満ち溢れているのです。

「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」私たちには、主のもとにおけるたましいの安らぎ・休息が必要であり、日々の仕事の手を止めて、イエス様の足もとに座って、イエス様のおことばに聞き入ることが必要なのです。そして、御許に座り、みことばに聞き、神とキリストを知ることの中に真の安らぎがある。その安らぎは、この世の悩みや問題があったとしても揺れ動くことのない、罪の赦しからくるたましいの安らぎ、つまり、イエス様の十字架による救いと、その救いに導く恵みのみことばによって与えられる安らぎです。是非、このイエス様にある真の安らぎを求めて教会へお越しください。