悔い改めよ
「人はパンだけで生きるのではなく、
神の口から出る一つ一つのことばで生きる。」
マタイ4:4
<悔い改めよ> マタイ3:1~12
バプテスマのヨハネが神様から与えられた使命は、救い主の到来を人々に告げることであり、人々にまことの光であるイエス様を紹介し、イエス様のもとに人々をお連れすることでした。ヨハネを通して、イエス様とはどのようなお方か、私たちがイエス様をどのようにお迎えすれば良いのか、みことばに教えられたいと思います。
ヨハネは、バプテスマ(洗礼)のヨハネと呼ばれていた事から分かることですが洗礼を人々に授けることを使命として神から派遣された預言者でした。ヨハネが人々に授けていた洗礼は、罪を悔い改めたしるしとして授けられる洗礼です。
ヨハネが指摘した人々の罪とは、この世界を創造された神様に背を向けて自分勝手に生きている状態を意味しています。それは、神の民であったユダヤ人たちも例外ではありません。彼らは、形式的には神様の命令に従って生活していましたが心の中では神様のご命令に違反することをしていたのです。その意味ですべての人は、神様に背いて生きているという事になります。ヨハネは、心の底から自分の罪を認め、悔い改めた(方向転換)した者たちに神様の方に向かい、神様と共に生きることを決断した人々にその証拠としての洗礼を授けていたのです。
ヨハネは、旧約最後の真の預言者と呼ばれ、心から本気で自分の罪を認めた者だけに洗礼を授けていたので本心を隠して洗礼を受けに来たパリサイ派に属する人々に対し、まむし(サタン)の子孫どもと断罪し、本当に罪を悔い改めたならその証拠を生き方を通して証明するようにと迫ります。それは、彼らを憎んでいたからではありません。彼らに救われて欲しいからこそ、彼は真実を語らずにはいられなかったのです。
ヨハネは、人々に愛をもって「悔い改めよ」と叫びました。私たちも、神から背を向けて歩んでいる人々に、本当の意味で悔い改めた者としての生き方を行動によって証する者になるように勧めると同時に自分たちも神を畏れた生き方を選択し、日々、神の御前に犯している罪を言い表し、その罪を赦していただき、神に向かって罪を赦された喜びと感謝に溢れて生きる者になりたいと願います。