小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

主にあって堅く立つ

「あなたがこの王国に来たのは、

   もしかすると、 このような時のためかもしれない。」
             
        
                                                f:id:koumi2016:20160627201619j:普通  エステル記 4:14

<主にあって堅く立つ>    ピリピ 4:1~3

 「主にあって同じ思いになってください。」同じ思いになる。残念ながら地上の教会は、完全ではなく必ず問題が起るものです。ピリピの教会も例外ではなく争う二人の婦人がいたようです。主にあって堅く立ち和解へ至る道について共にみことばに聞いてまいりましょう。
 パウロは二人の間にあるわだかまりを解消させるために、ピリピの教会の兄弟姉妹たちの支援を求めます。3節参照。「本当に、真の協力者よ」この協力者と訳された言葉は、共働者、仲間、配偶者とも訳せる言葉です。この言葉のはもう一つ「共にくびきにつながれている」という意味があります。力を合わせて宣教するには、同じくびきを負うことが必要です。どんなに本人たちの自我が頑なでも、周囲の真剣な勧めと周囲の愛による協力があるならば、必ず和解が成し遂げられます。でも、和解へ至る道にどうしても必要なことが一つあるのです。それは、一人一人が「主にあってしっかりと立つ」ことです。主にあるとは、私たちが信仰によって、主イエス・キリストの救いに与り、生ける主との交わりに与るという意味です。つまり、生ける主イエス・キリストとの人格的な結びつきにおいてという意味が主にあるという言葉に込められています。ですから、パウロは、ピリピの教会の兄弟姉妹たちに生ける主イエス・キリストとの生きた交わりがあるなら、その主にあって堅く立つことができるのだと励ましているのです。


 これは私たちに対する励ましでもあります。ここに私たちの希望があります。どんなに仲たがいしている者同士であっても、その二人が互いに主にある者であることを思い出す時、イエス様がいのちがけで愛された者を「受け入れられません」と拒むことはできなくなるはずなのです。イエス様から何度も何度も無条件で自分の罪を赦していただきながら、自分を傷つける人の言葉や配慮のない態度、思いやりのない扱いに対し、「赦せない」とは言えなくなるはずなのです。
同じ主にあって救われた者同士であるならば必ず和解の道が開かれます。そして、イエス様との生ける交わりが回復すると、上からの愛を受け取ることができるようになり、その愛で自分を愛するように兄弟姉妹たちを本当の意味で愛せる人に変えられるのです。そこから和解の喜びに満たされた主あって堅く立つ新しい人生がはじまるのです。