小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

天国民の希望

「ダニエルは穴から引き上げられたが、
 彼に何の傷も認められなかった。
 彼が神に信頼していたからである。」
             
        
                                                f:id:koumi2016:20160627201619j:普通  ダニエル6:23

 

<天国民の希望>    ピリピ3:17~21

 私たちの希望は、どこにあるのでしょうか。地上にでしょうか。それとも、天の御国にでしょうか。今朝、共にみことばにきいてまいりましょう。
 ピリピの教会にはすでに自分は完全な者にされたと思い上がっていた人たちがいました。彼らの特徴は、彼らの関心事が肉の事に向けられていた点です。パウロは、それを欲望と表現しています。パウロは彼らの神はその欲望だと言っています。欲望を神とするとは、彼らの願いが自分を満足させることにあるという意味です。もっと別の言い方をすれば彼らの本当の願いは、自分が食べることにあるという意味です。つまり、自分の生活が重要なのです。しかし、それでよいのでしょうか。パウロは、天国民が関心を向けるべきことを教えます。それはやがて与えられる栄光の体です。今、私たちに与えられている体は、罪の誘惑に負けてしまう体ですが栄光の体は完全であり誘惑に負けることはありません。病気になることも、元気を失うこともない完全な体をいただくことができるのです。これは私たちにとってすばらしい希望です。
さらに、天国民の最大の希望は、主が再び地上に来られることです。初代教会の人々は、イエス様がすぐに再臨されることを願い、自分たちが地上に生かされている間に再臨があると信じて待ち望みつつ生活していました。それは、私たちも同じです。今の世界を見渡してみる時、悲惨な状況がいたるところに見られます。私たちの知ることのできない隠れた悪も沢山あるはずです。しかし、すべての事には必ず終わりがあるのです。イエス様が再び地上に来られたならばすべての事が明らかにされ、公平に報いを受けることが定められています。これは私たちにとって大きな慰めであり、励ましです。


世の人は、正直者が馬鹿を見るとまじめに生きることを過少評価することがあるでしょう。しかし、すべてを知っておられるお方を侮ることほど愚かなことはありません。私たちは、すべての思いと行いの報いを刈り取る時が必ず来ます。私たちは、弱い存在です。この戦いの多い、誘惑に満ちた世界でキリスト者として天国民として生きることは容易なことではありません。
 一週間に一度は、主の御前に自分の生活を顧みる時をもち、自分の歩みが神様のみこころから外れたものになっていないかどうか、確認し、みことばの光に照らされて、自分の生活をみこころに沿ったものに軌道修正し、天に国籍を移された者としての自覚を新にし、キリスト者としてふさわしい生活を実行する決断を更新し続ける者でありたいと願います。