小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

すでにと未だの間に生かされて

「この世と調子を合わせてはいけません。」
             
        
                                                f:id:koumi2016:20160627201619j:普通  ローマ 12:2

 

<すでにと未だの間に生かされて>    ピリピ3:12~16

 ピリピの教会には、すでに完全な者とされたと思い上がっている人々がいたようです。確かに、神様の救いの御業は、完全であり、神様が一度救った者を滅ぼされることはありません。だからと言って私たちの救いは、地上に生かされている間、未完成であることもまた真理なのです。なぜなら、救われた後も私たちは罪を犯す罪人に変わりはないからです。神様は、救われた者たちが救ってくださったイエス様のご性質に似た者に変えられることを望んでおられるのです。
 聖書を読む時、自分の好きな聖書個所ばかりを選んで読むことを控え、バランス良くみ言葉の糧をいただくことが必要です。どうして、自分の嫌いな聖書個所を読むことが必要なのでしょうか。それは、自分の心の痛いところをみことばが示してくるからです。目をそむけたくなるような箇所ほど重要な箇所であると認め、そのみことばを自分の生活に適応しみことばと格闘し、自分の願いや思いよりもみこころを優先することを選択し、みことばに従って実際に行動することにより、私たちの信仰ははじめて成長することができるのです。これは実に実践的な営みです。
 パウロは、本気で自分の不完全さを自覚していました。人間の目から見ればパウロほど完全な者は他に見られないほど隙のない生き方を実践していたはずです。しかし、彼は多くの失敗を通して自分の高慢さを打ち砕かれ、謙遜な者と変えられ、最後の最後まで完成を目指して追求する者でありたいと願う者に変えられていました。これはこの地上でキリスト者としてふさわしく生きるために必要な自覚なのです。自分は、未完成な者なのだ。確かにすでに救われている。しかし、未だその救いは完成していない。完成の日に向かって少しずつ新しく造り変えられ続けている者であることを心にいつも覚える者でありたいと願います。
 パウロは目先のことではなく、ずっと先のことに照準を定め、天の御国でイエス様から「良くやった。良い忠実なしもべよ」とお褒めの言葉をいただけるように生きることに徹しようと心に決めたのです。パウロは、自分に課せられた使命を全うし、悔いのない人生を走り貫いたと言い切っています。Ⅱテモテ4:6~8参照。
 私たちも彼の生き様にならい。地上においてキリスト者としての役割を果たし、自分にできることはすべてやり尽くしたと思い残すことはもう何もないと晴れやかな心で人生の最後を迎える者になりたいと願います。