小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

生きることはキリスト

「私は主の名を呼ぶ。
 そのとき、火をもって 答える神、
 その方が神である。」
                

                                                 f:id:koumi2016:20160627201619j:普通  Ⅰ列王 18:24

 

<生きることはキリスト>     ピリピ1:18~21

 前回、パウロの投獄を喜ぶキリスト者がいたことを確認し、彼らが党派心から宣教しているとパウロは手紙に記しています。党派心とは、自分の力を誇示し、自分の勢力を得ようとする分派精神のことです。教会にとって分派は、一致を乱すもとになるものなのでパウロは、分派を起こす者たちを教会から除名するようにと厳しく命じています。テトス3:10を参照。
しかし、パウロはピリピ人への手紙では、たとえ党派心からでもキリストが正しく宣べ伝えられて福音を聞いた人々が救われているならばそれを喜ぶと言いきります。パウロの死生感は変えられていたのです。確かに、自由の身になれることを誰でも願います。苦しみを自分から望むことは通常あり得ません。しかし、パウロは、苦しみの先にあるものに目を向けて生きていたのです。彼が苦しみの先に見ていたものそれは永遠のいのちです。この地上を去った後にキリストと共に生活する日にパウロの生きる目標は、定められていたのです。さらに、パウロは救い主と出会った喜びに日々満たされていました。彼は、いのちをかけて伝えるべき宝を手に入れた喜びから福音を大胆に宣べ伝え続けたのです。
それは、私たちも同じです。私たちも、パウロと同じように罪を赦され、神様の御前に義と認められ、神の子の身分と永遠のいのちをすでに与えられ、天国に行けるという確信を与えられています。これは何にも勝る祝福です。先に救われた者たちには、この救いのすばらしさを人々に伝える特権と責任が与えられています。
そして、これこそがキリスト者が第一になすべき使命であることをもう一度覚えたいと思います。
 パウロは、この尊い使命を果たすことができるなら自分のいのちが奪われても少しも悔いのない生き方を実践していました。使徒の働きを読むとパウロがいのちがけで宣教し続けていたことが本当に良く分かります。パウロは、ピリピの教会の兄弟姉妹が自分と同じ死生感を持つ者になり喜んでこの福音を人々に伝えることにより救いを求める人々がさらに起こされることを期待したのです。
パウロは次のように告白しています。生きることはキリスト死ぬこともまた益です。