小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

キリストを知った喜びに生きる

「神は霊ですから、神を礼拝する人は、
 御霊と真理によって礼拝しなければなりません。」
             
        
                                                f:id:koumi2016:20160627201619j:普通  ヨハネ 4:24

 

<キリストを知った喜びに生きる>    ピリピ3:1~11

 ピリピ人への手紙は喜びの書簡を呼ばれるほどなんども喜びという言葉が記されています。パウロは、どこまでも寛容な人でしたがなんでもかんでも容認していた人ではなく、言うべき時には厳しく語る人でもありました。パウロは、2章までの手紙の様子とは、ガラリと変わって厳しい口調でピリピの教会の兄弟姉妹に警告します。2節参照「犬どもに気をつけなさい。」パウロが「犬」と呼んでいる人々は、ユダヤキリスト教徒たちの事です。彼らは、パウロが宣教し建て上げた教会に混乱をもたらした人々です。彼らが主張した内容は、救われるためには信仰だけでなく、割礼を受けることと律法を守ることが不可欠であるというものでした。パウロは、この教えに対し絶対にそんな必要はないといのちがけで抗議し、救いの条件は、ただ一つ信仰のみであると一歩も妥協することなく断固として最後までその主張を貫き通しました。
 救われる以前のパウロは割礼を受けること律法を守ることが救われるためには必要不可欠であると主張する側の人間でした。しかし、パウロは、イエス様と出会い、キリストを知った喜びに満たされ変えられたのです。彼は、イエス様に出会い、はじめて気づいたことがありました。自分がキリストを知る前から自分はイエス様に覚えられていたのだと、彼は、イエス様から知られていた喜びを体験します。それは私たちも同じです。私たちもイエス様から一人一人覚えられているのです。「わたしはあなたを知っている。わたしはあなたが地上に誕生する前からわたしはあなたがいつどこで生まれ、どのような人生を送ることになるかすべてを知っていたのだと。そして、これからもあなたのことをいつも見守っている」とおっしゃってくださる方と私たちは出会うことによりキリストに知られている喜びに満たされるのです。パウロはイエス様のいのちがけの愛を受け取り、その愛に自分もいのちがけで応答し、全心、全霊で宣教に取り組み、自分に出来ることはないかと祈りつつ奉仕に励み、キリスト者として悔いの残らない歩みをしようと奮闘します。
天の父なる神様は、パウロのように喜んで主のために、仕える人になることを私たちに期待しておられるのです。
 新しい年、主が何を自分に求めておられるのか。一人静まってみことばに聴く時をつくり、主から示されたみことばを握りしめ、地上の残された日々を精一杯生かさせていただこうではありませんか。