小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

確信して祈る者になる

「少しもはばかることなく、
 また妨げられることも なく、
 神の国を宣べ伝え、
 主イエス・キリストの ことを教えた。」
                

                                                 f:id:koumi2016:20160627201619j:普通  使徒 28:31

 

<確信して祈る者になる>    ピリピ1:3~8

 パウロは、福音を宣教することで捕らわれの身になったことを消極的な面から捉えることなく、逆に積極的な面から自分が置かれた状況を捉え、感謝しています。パウロは、いつも自分の過去と現在から未来を見据え、神様に感謝し祈り確信に導かれた人です。パウロは、ピリピで宣教した当時のことを振り返り、神様が成された救いの御業を覚え、感謝したのです。パウロは、今、投獄されて自由を制限されています。しかし、自分に起こったことを消極的にではなく、積極的に受け止めることができました。なぜなら、パウロはかつてピリピで同じような経験をしていたからです。使徒16:16~24参照。パウロたちの投獄は、その獄舎の看守とその家族の救いに繋がりました。同じようにパウロたちが今投獄されていることで救われる人々が彼らの周りから起こされていました。また、パウロは自由に動いて宣教していた時、移動時間に時間を奪われ、祈りに当てる時間が僅かしかもてなかったはずです。しかし、捕らわれの身になることで自由に移動できない分、その時間を祈りに当てることができるようになったのです。これは宣教にとって一番重要なことです。
 私たちもそうですが教会に一番必要なものも祈りです。沢山の人に福音を届けるために時間を使うことも必要です。しかし、どんなに沢山の人に福音を伝えても伝えっぱなしで伝えた方のためにとりなし祈らなければ本来の目的を果たすことはできません。パウロは、自分が宣教した人々のためにいつも祈っていました。一人一人の名を挙げてとりなし祈っていたはずです。パウロもとりなし祈られていました。
 キリスト者の特権は今、置かれている状況が困難なものに思われても、その状況がキリストのために苦しむことであるならそれは神様からの恵みとして受け取ることができることです。なぜなら、イエス様の十字架の苦しみが私たちの救いとなり、パウロたちの受けた苦しみが異邦人たちの救いのために用いられていったからです。同じように私たちが今経験している苦しみが家族や友人や知人の救いに用いられる時が必ずきます。最後まで耐え忍ぶことができるように互いに執り成し合い励まし合い声を掛け合いながら一歩ずつイエス様の後に従って大胆に確信をもって祈る者に変えられてまいりましょう。