小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

恵みと平安があるように

「心の貧しい者は幸いです。
 天の御国はその人たちのものだからです。」

                                     
                f:id:koumi2016:20160627201619j:plain マタイ5:3

 

<恵みと平安があるように>      エペソ1:2

 パウロはあいさつの後、祝祷を書き記しています。礼拝の最後に牧師が祝祷を捧げます。主イエス・キリストの恵みがあるように、父なる神の愛と聖霊の親しき交わりが豊かにあるようにと祈ります。パウロは、エペソの教会の兄弟姉妹の上に父なる神様と子なるイエス様から恵みと平安があるようにと祝福の祈りを記したのです。今日は、聖書が教える恵みと平安について学んでまいりましょう。
 聖書で使用されている恵みという言葉には、値しない者に与えられる一方的な好意という意味があります。聖書が強調する恵みとは、救いのことです。何からの救いかというとそれは罪からの救いです。人間は生まれながらに罪の性質をもち、罪を犯しながら生きている存在です。人間が互いに傷つけ合うのは、罪人である証拠です。一般的に罪を犯して罪人になると人々は考えますが聖書は罪人だから罪を犯すのだと教えるのです。ローマ1:20~32参照。
 罪を犯したことの一 度もない義なるイエス様が罪人である人類に代わり、十字架にかけられ、罪を犯した者に償いとして求められるいのちの代価を支払うことにより、イエス様を信じる者たちの罪を赦し、義と認め、無罪とするという驚くべき救いの道が開かれたのです。ローマ3:10~26参照。これが福音です。これが恵みです。
 私たちが何かしたから救っていただけるわけではなく、救いに必要ないっさいのことは、イエス様が代わりにしてくださったことにより、そのイエス様を信じるだけで信じた人の罪が赦され、御前に義と認められ、無罪とされ、さらに神の子としての身分と永遠のいのちまでも与えられるのです。この受けた恵みの大きさが本当の意味で分かる時、それ以上に求めることはなくなります。求める代わりに受けた祝福に対して何とかしてお答えしたいという心の底からの願いが湧き上がるのです。そして、罪を赦された者には平安が与えられます。
 聖書が教える平安とは、神様との関係における平和を意味しています。生まれながらの人間は、罪の性質をもち天の父なる神様の命令に喜んで従うことができません。しかし、救われると罪の間題が解決され、その人と天の父なる神様の霊的な交わりが回復し、喜んで神様の命令に従うことが可能となります。人間は、神様から愛されていることを知ると、愛してくださる神様の命令に喜んで従うことができるようになるのです。
神様は、赦す者を祝福してくださり、罪の力から解放し、平安を与えてくださいます。罪を赦された者同士が互いに祝福の祈り祈り合う愛の溢れた関係になる時、そこに神様がさらに主の家族とされる人々を送ってくださるのです。