小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

ことばに真実に生きる

「私を強くしてくださる方によって、
    私はどんなことでもできるのです。」

 

                  f:id:koumi2016:20160627201619j:普通  ピリピ4:13

                                  

<ことばに真実に生きる>            マタイ5:33~37

 結婚式の時、私たちは、神と人との前で結婚の誓約、誓いをします。結婚の誓約、洗礼式の誓約などは、神の前で、神への約束として交わされるものであることを意識しやすいですが、私たちが普段、何気なく交わす言葉や約束も、人間の心の思いを全て知り、その言葉を聞き、見ておられる神様の御前でなされているものであることを、どれだけ意識することが出来ているでしょうか。
 モーセは、民が罪を犯し続けないよう、誓いに関する命令を与えることにより、「誓いの重み」「誓いに真実に生きること」を人々に教えようとしました。しかし、律法学者たちは、破ることの出来る誓いをつくり、自分たちが誓いを破ることが許されるための言い訳、誓いを果たさないで済む逃げ道を作ったのです。 そもそも、誓われた言葉は、「権威」と「拘束力」をもち、相手と自分が信頼し合うことによってはじめて成り立ちます。誓いを破る者は不真実とみなされ、裁きを受けなければなりません。

 神に誓うという行為は、神をその誓いの保証人とし、もし自分の語っていることが真実でないなら、神の罰を受けても良いと宣言する行為です。誓いというものは、本来、厳粛な行為であり、自分の言葉が真実である、と宣言するもので、軽々しくいい加減な気持ちでしてはなりません。偽りの誓いは、神様の御前に罪を犯すことです。モーセは、これ以上、民が罪を犯し続けないよう、誓いに関する命令を与えることにより、「誓いの重み」「誓いに真実に生きること」を人々に教えようとしたのです。

37節でイエス様は、二つの言葉を二度繰り返すことにより、事実を事実とし、「誓いの重み」をもって、その言葉に真実に、すべての事を宣言するよう命じておられます。それは、神様の御前における誓いは、誠実に、忠実に、「はい」は「はい」、「いいえ」は「いいえ」とそのまま言う、それ以上のことは宣言しないということです。真実を話し、約束を守ること、ことばに誠実であるようにと諭されたイエス様のお言葉を厳粛に心に刻みつけたいと願います。

 弱く罪深い私たち人間は、厳密には何の約束も守ることが出来ないと言えるでしょう。けれども、そのような私たちを愛し、赦して、新しく造り変えて下さる神様の助けと御力によって、私たちは、与えられた恵みにお応えし、約束した言葉に誠実に生きる者と変えられていくのです。そして、「ことばに真実に生きる」存在として、「主の証人」とされていくのです。