小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

本当に求めるべきもの

「みことばを行う人になりなさい。

 自分を欺いてただ聞くだけの者となってはいけません。」

 

                  f:id:koumi2016:20160627201619j:普通  ヤコブ1:22

                                  

<本当に求めるべきもの>    マタイ9:1~8(平行箇所マルコ2:1~12)

 イエス様は、福音を宣教し、癒しの業を行うことにより、救いを求める人々がイエス様のもとに足を運んだのです。病の癒しを求めて運ばれてきた人がいました。なんと、その中風の人は、単に寝ているまま運ばれてイエス様の御前に出たのではなく、その人を運んだ四人の人が、イエス様のおられた家の屋根をはがして穴を開け、天上から寝床ごとつり降ろされて、イエス様の御前に出たのです。イエス様は、彼らの信仰、イエス様への揺るがない信頼を見て、彼らの願いをきき、彼らが求めていた以上のことをしてくださいました。それは、「あなたの罪は赦された」という罪の赦しの宣言です。

エス様は、癒しのわざではなく、まず罪の赦しを宣言されました。なぜ、イエス様は中風の人に、最初に罪の赦しを宣言されたのでしょうか。

 イエス様の時代、特にユダヤ人の文化では、すべての病気や艱難は、本人か誰かの罪の結果であると信じられていました。イエス様は、当時の人々が病と罪を関連づけていたことに対し、病を否定的に捕らえてしまい易い人間に対し、神のわざが現れるためであるという神様の大いなる深いご計画と目的があることを明らかにされたのです。同時に、人は病気を通して謙遜になり、自らを省みて、自分の罪を意識するようになるということも覚えたいと思います。周囲の人の見方が正しくなかったとしても、中風の人は、「自分は罪人だ」という自覚を持ち、心貧しく、自分の罪を悲しむ心を持っていたと言えるでしょう。

 罪とは、法律にふれるような悪い行いのことではなく、神様との関係が断絶し、神様のご命令に従わず、神様に背を向けて生きていること、そのものです。この罪のために、私たちは、自分中心となり、人を愛し生かすよりも、むしろ憎んだり傷つけたりしてしまうのです。自分の人生を、自分自身をも喜ぶことができない、私たちの様々な苦しみや悲しみの根本には、この罪があります。

 聖書は、最初から最後まで一貫して、私たち人間が神に背を向けて、罪の中に死んだ者であること、私たち人間には、「罪の赦し」という全人格的な回復が必要である事、神は、悔い改める者の罪を赦す権威をお持ちである事、私たちの罪が赦されていることは、イエス様の十字架の死と復活によって裏付けられていることを証しています。         福音とは、神様が私の、あなたの罪を赦して下さり、父と子としての関係を新たに結んで下さるという喜ばしい知らせです。この喜ばしい知らせを信じて、その恵みに身を委ねること、それこそが、私たちが本当に求めるべきものなのです。