小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

永遠の世界に目を向けて

「求めなさい。そうすれば与えられます。」

 

                  f:id:koumi2016:20160627201619j:普通  マタイ7:7

                                  

<永遠の世界に目を向けて>         マタイ5:27~30

 私たちは、神様が私たちに与えて下さった律法が、私たちを罪の自覚と悔い改めに導くものであり、神と人との和解への招きであることを教えられました。イエス様はさらに、「姦淫してはならない」という律法から、私たちのうちにある罪の問題と、罪に対する神様の厳しさ、その裁きの恐ろしさについて警告し、父なる神様の御心を教えておられます。永遠の世界に目を向けて歩む私たちが、律法をどのように受け止め、生きたら良いのか、共にみことばにきいてまいりましょう。
 私たちには自分でも気づかない多くの罪や過ちがあるのです。自分のうちにむさぼりの罪があることが示されたなら、素直にその罪と、罪ある自分の現実を認め、神様の前に罪を悔い改め、罪を赦していただきましょう。罪をそのままにしておくなら、必ず裁きを受ける。これは、聖書が教えている真理です。私たちはみな、神様の御前でさばかれる日が定められているのです。この厳粛な事実を、繰り返し心に刻み、イエス様が教えてくださった主の祈りを、心から祈り、願う者でありたいと願います。自分が罪深く、弱い存在であることを認め、「われらを試みに合わせず、悪からお救いください。」と日々祈ることは大切です。「われら」という部分を「私」に変えて、真剣に祈り求めてまいりましょう。
 また、イエス様は、罪と、罪がもたらす裁きの恐ろしさを挙げて、私たちが「永遠の世界に目を向けて」心の思いを点検するよう諭しておられるのです。私たちは、この身と魂が天の御国目指して歩ませて頂いていることを常に覚え、永遠のいのちに続く道を邪魔するものを、取り除いていかなければなりません。
  現代社会を見る時、姦淫は日常にありふれた罪であり、人々は、神様の教えに反逆して生き、これほどまでに罪に鈍感になっている人間の姿を、神様はどれほど悲しんでおられるかを思わされます。神様の教えを人間の道徳におとしめて、都合よく解釈したり、取捨選択したりして、罪を曖昧にしたり、罪に妥協したりしていますが、やがて来る審判の時には、それらすべてのことについて裁かれるのです。
 今、私たちが地上でしている小さな業であっても、主のために自分が出来る最善をもって、自分の賜物を捧げる時、主はそれを喜び、祝福してくださいます。イエス様は、私たちを必要としてくださるのです。焦ることなく、ゆっくりでも、忠実に、主が喜ばれることを果たし、主の栄光のために自分に出来ることは何か、日々、イエス様に尋ねながら、永遠の世界に目を向けて、示された愛の業に励んで行こうではありませんか。