小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

救いの土台

「天にいます私たちの父よ。
 御名が聖なるものとされますように。
 御国がきますように。」

                                                       f:id:koumi2016:20160627201619j:plain マタイ6:9~10

 

<救いの土台>      エペソ1:7

 私たちは、生まれながらに背きの罪の性質をもつ者としてこの地上に誕生します。神様は、最初の人間を罪の性質をもたない完全な者として造られましたが罪を犯す可能性を人間に残されたのです。
人間はどのようにして神様に対して背きの罪をもつ者になったのでしょうか。
創世記3:1~7参照。
 アダムたちは、サタンの誘惑に負け、神様が食べてはいけないと命じられた一本の木から取って食べることを選択したのです。この時から、全人類は背きの罪の性質をもつ者になりました。神様の命令に従って生きることよりも、自分のやりたいように、生きたいように生きる者になることを全人類はアダムにあって選択したのです。そして、全人類は、背きの罪の結果、自分の否を認めずに自分の犯した罪の責任を人や状況や環境に転嫁する者となりました。人間の世界から争いが絶えないのはその為です。
では、人間がその悲惨な状態から解放される道はないのでしょうか。 一つだけあります。それが神様と人間の霊的な関係が回復される道です。その回復の方法として神様が選ばれたものがイエス様の十字架の血による贖いです。この血による贖いとは、罪を一度も犯されなかったイエス様が十字架にかけられ、 血を流されることにより、神様の人間が犯した罪に対する怒りが宥められ、神様の義の要求が満たされ、人間の犯した罪が赦される道が備えられたというものです。
 聖書が教える救いは、客観的な面と主観的な面の二つに分けられます。御子の血による贖いが客観的な面であり、私たちがそれを信じる前に、神は私たちが信じさえすれば救われるようにと、その救いの土台を神様がすえてくださったのです。この救いに関する客観的な裏着けがある宗教はキリスト教だけです。そして、イエス様が自分の罪の身代わりに十字架上で死んでくださったことを信じ、受け入れる時、その人の罪は赦されます。これが救いに関する主観的な面です。神の御子であられるイエス様の犠牲以上に完全なものはありません。罪を一度も犯したことのないお方の血が流されることにより、どんな罪も赦される道が備えられたのです。
 罪の赦しのために、神様が全力、文字通りいのちがけで救いの御業を計画し実行してくださったことを覚えましょう。しかも、その救いは完全な救いです。根拠のある裏付けのある確かな救いです。神様が人類を救うために備えくださったこれらのことを心にとめる時、天の父なる神様と子なるイエス様と聖霊なる神様の御業をほめたたえずにはいられません。