小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

贖いによる救い

「私と私の家は主に仕える。 」  
              
                                                            f:id:koumi2016:20160627201619j:plain ヨシュア24:15

 

<贖いによる救い>          ローマ3:23~24

 救いについて教える宗教は、キリスト教以外にもいろいろあります。しかし、その救いが 「贖い」に結びつけられている宗教は、キリスト教だけです。今日は、救いにおける「贖い」がどういうものなのか共に考えてまいりましょう。
 贖いとは、もともと奴隷市場で使われていた言葉です。奴隷市場で競売にかけられた奴隷を、代価を払って自分のものにするという意味から使われていた言葉が贖いです。その言葉をパウロは奴隷を代価を払って自分のものにするという意味ではなく、旧約聖書の中で人間が犯した罪の身代わりに動物が犠牲として捧げられ人間の犯した罪が赦されるという意味で贖いという言葉を使用しています。旧約時代は、動物が人間の罪を贖うために捧げられてきましたが、それは御子であられるキリストの十字架の犠牲を予表したものだったのです。
天の父なる神様は、アダムたちの恥をおおうため、皮の衣を作るために動物の血を流されたように、私たちの罪を贖うために、イエス様を十字架に架けることにより、イエス様の尊い血を流させてくださいました。それほどまでに、天の父なる神様は子どもである私たちを愛してくださっているのです。罪ある私たちの救いの根拠は、キリストの贖いにあります。そして、罪の赦しは、ただ、イエス様の十字架を受け入れること、そのことだけです。イエス様は、罪の性質をもつ私たちに代わって律法を完全に守ることにより 、きよい生贄としての条件を満たされ、罪の贖いを成し遂げ、人が御前に義とされる道を備えてくださいました。聖書は、救いは報酬ではなく、恵みにより与えられるものだと宣言します。
 恵みとは、それを受けるに値しない者が受ける神からの不当な祝福です。本来 ならば罪人である私たちが義と認められることは100パーセントありません。義なる神様の御前に罪人である私たちが出ることは滅びを意味しています。しかし、今、こうして御前で礼拝することが許されているということは、罪が贖われて義と認められている証拠です。
宗教改革者ルターは今朝の聖書箇所のみことばから人間は、行いではなく、
「ただ 、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められる」という真理に出会うことができました。最後に残るものは、みことばの真理です。どのような時代になったとしてもみことばの真理に堅く立ち、贖い主であられる主の十字架を仰ぎつつ、御前に歩む者でありたいと願います。