小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

羊飼いの声に聴く群れとして

「御子イエスの血がすべての罪から
 私たちを きよめてくださいます。」

 

                   f:id:koumi2016:20160627201619j:普通 Ⅰヨハネ1:7

                                  

<羊飼いの声に聴く群れとして>           ヨハネ10:27

朝岡 勝 師(理事長・徳丸町キリスト教会) 

 ヨハネ福音書10章は、いくつかの場面が綴り合わされながら一つのことを繰り返し教えています。その中心にあるのは11節、「わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます」。
また14節、15節です。「わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っており、わたしのものは、わたしを知っています。ちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じです。また、わたしは羊たちのために自分のいのちを捨てます」。ここで教えられていることは大きく四つのことです。
 第一に、主イエスご自身がまことの羊飼いであり、私たちはその羊であるということ、第二に、羊飼いは自分の羊を知り、羊もまた自分の羊飼いを知っているということ、第三に、この羊飼いと羊の関係は、父なる神と御子イエス・キリストの関係と同じであるということ、そして第四に良い羊飼いなる主イエスは、羊である私たちのためにいのちを捨ててくださるということです。 
 私たちを知っていてくださり、私たちのためにいのちさえ捨ててくださるまことの羊飼いイエス・キリストに対して、私たちがいかなる存在であるかを教えてくださるのが27節です。「わたしの羊たちはわたしの声を聞き分けます。わたしもその羊たちを知っており、彼らはわたしについて来ます」。まことの羊飼いなる主イエスが私たちの名を呼んで、連れ出してくださるということは、このお方に養われる羊である私たちもまた、まことの羊飼いを特定して、この羊飼いについていくことを意味します。そこで要となるのが、羊たちが羊飼いの声を聞き分け、ついていくということでした。聴くことと従うこと。それは一つの繋がりです。
 主は自分の羊で失われたものを捜し出し、迷い出たものを連れ戻し、傷ついたものを包み、病気のものを力づけてくださる良い牧者、そして何よりもその羊のためにいのちを捨てるお方です。
    教会は神の言葉が語られるところであり聴かれるところ、教会の真の牧者はイエス・キリスト、羊の群れは良き羊飼いの声にのみ聴き、そしてその声についていく。まことの羊飼いなる主イエス・キリストの羊たちに対する愛を知り、その愛に動かされ、私たちもまたその愛の中で主の御声にのみ聴き従う羊の群れとなっていくのです。