義に飢え渇き続ける者は満ち足りる
「わたしが、あなたとともにいる。
これが、 あなたのためのしるしである。
このわたしが あなたを遣わすのだ。」
出エジプト 3:12
<義に飢え渇き続ける者は満ち足りる> マタイ5:6
イエス様は、「義人は幸いです」とも、「義を知る人は幸いです」ともおっしゃらず、「義に飢え渇く者は幸いです」と宣言されました。イエス様が宣言された幸いな者とは、どのような人のことなのでしょうか。
人類は、幸福になることをずっと追い求めて来ましたが、それを得ることができません。なぜかというと求めるべきものは、「幸い」ではなく、「義」なのです。幸いを求めて幸いになるのではなく、義を求める者が結果として幸いな者とされるのです。
イエス様が言われる「義」とは、「神の義」です。義に飢え渇く者の消極的な面は、罪から逃れたい・解放されたいという願うようになることです。
では、義に飢え渇く者の積極的な面は何なのでしょう。それはきよくなりたいという切なる希望を持つことです。本当の意味できよいお方は、神の御子であるイエス様だけです。きよくなりたいと願う人は、自ずとイエス様に似た者になりたいと願うようになります。つまり、義に飢え渇くとは、「主を求めること」「イエス様ご自身の似姿に近づいていくことを求め続けること」なのです。
また、義に飢え渇く人は、もうこれでいいと満足し、そこで留まるということはありません。もっともっときよくなりたい、イエス様のご性質に近づく者に変えられたい、という欲求が後から後から溢れ出すのです。
私たちは、神のあわれみにより、イエス様を信じることにより義と認めて頂いた者たちです。その意味で、私たちは義人です。しかし、イエス様がここで宣言された幸いな者とは、義に飢え渇いている者、すなわち現状に安住することなく、イエス様ご自身を熱心に追い求めている人々、義を追い求める者たちのことなのです。キリスト者は、義に飢え渇いていると同時に、満たされている人である。満たされれば満たされるほど、ますます主を求める思いが強くされ、さらなる満たしという祝福に与る。これがキリスト者の幸いです。