小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

敬虔のための鍛錬

「ただ、おことばをください。 
 そうして私のしもべを癒してください。
」             

                                                       f:id:koumi2016:20160627201619j:普通 ルカ 7:7

 

<敬虔のための鍛錬>    Ⅰテモテ4:6~11

 「鍛錬」という言葉に、どのような印象・イメージを持たれるでしょうか。辞書によれば、「鍛錬」は「金属を打ちきたえるように、激しい稽古、修養・訓練を積んで心身・技能を磨くこと」であります。
ある目標に向かって進んで行く時、あるいは何かを獲得するためには、乗り越えなければならない苦しみ、試練があるものです。
 パウロは、エペソの教会で悪戦苦闘していたテモテに、その労苦、苦闘がもたらすものについて教え、彼を励ます言葉をここに記しています。牧師の務めは、正しい教理とキリスト者としての実際生活についてしっかり教え、教会を異端から守り、教会員を指導することです。
次にパウロがテモテに勧めていることは、敬虔のために自分を鍛錬することです。「敬虔」とは、「深く敬いつつしむさま」「神につつしんで仕えるさま」を言う言葉です。文語訳聖書では「信心」と訳されており、「敬虔」とは「信心」や「信心深い」と言い換えることの出来る言葉です。つまり、神を信じて祈る「信仰深さ」とも言うことが出来ます。ですから、敬虔のためとは、信仰深くあるため、つまり、どんな苦難や悲劇の中でも私たちを支える信仰を確かなものとするためであるということができます。<br>
 では、敬虔のための鍛錬とは、具体的には何を意味するのでしょうか。それは神を称えること、神に奉仕を捧げる事であって、それによって神が崇められる事です。つまり、礼拝を共に捧げることにより私たちは敬虔な者に変えられるのです。私たちは、毎週、集められ、共に礼拝を捧げることにより、敬虔(神を恐れ、敬うこと)のための訓練を受けています。なぜなら、私たちは受け身ではなく、積極的に神を礼拝するために奉仕するからです。奉仕する人は、必ずその準備の時に祈ります。聖書を読みます。みこころを求めます。そして、みことばを自分に適用し生活しようと試みつつ、礼拝を共に捧げることにより私たちは少しずつ敬虔な者に変えられるのです。
永遠のいのちを約束する敬虔のために自分自身を鍛錬することが、キリスト者の霊的な養いであり、神の祝福を受ける道なのです。神を恐れ、神に信頼して生きる、礼拝者としての生き方の訓練のために、神が愛する者たちの成長を願い、私たちの成長に必要な苦難を与えてくださるのです。


 私たちが望みを置いている生ける神は、敬虔のための鍛錬を通して、地上の日々にも祝福を与え、将来に対する希望をも確かなものとして下さるお方です。この神に信頼し共に礼拝を捧げ続ける群れでありたいと願います。