礼拝における秩序
「何事でも神のみこころに従って願うなら、
神は聞いてくださるということ、
これこそ 神に対して私たちが抱いている確信です。」
Ⅰヨハネ5:14
<礼拝における秩序> Ⅰテモテ2:8~15
男女を差別することは神様の喜ばれることではありませんが、教会において、家庭において秩序が保たれることが必要であることは誰もが認めるところでもあります。
パウロは、8節で男たちは、怒ったり、言い争ったりせずに、どこででも、きよい手を上げて祈るように勧めています。祈りは、男性だけに限定されたことではありませんが祈る時に忘れてはいけない点があります。それは、祈りの力を無効にする怒りや争いです。怒りの感情自体は悪いものではありません。しかし、怒りを正しく取り扱わないでそのままにしておくと、その怒りが憎しみに変わり、敵意になって罪を招くことに繋がります。そして、何より怒りに支配された心、憎しみに支配された心、無慈悲な心でどんなに祈ってもその祈りは、神のもとに届くことはありません。祈る内容が正しくても、祈る人が罪を犯したままの状態であるならば、神との交わりが断たれたままになります。ですから、祈る者は自分の罪を認め、和解しなければなりません。
では、女性に対するパウロの勧めに目をみてみましょう。9~15参照。パウロの勧めの内容から推測できることは、エペソの教会には、礼拝の場にふさわしくない服装で礼拝を捧げている女性たちがいたのです。つつましい身なりの反対は、派手な身なりです。パウロは、礼拝においてふさわしい服装は、控えめな服装であるようにと勧めます。これは、大切な事です。彼女たちの第一の関心が神ではなく、その場に集う人々にどう見られるか。そもそも礼拝に集う目的がズレていたのです。これは、私たちも気をつけなければいけない点の一つです。私たちは、自分一人だけで礼拝を捧げているわけではありません。共に礼拝を捧げている人々がおられるのです。周りの人に好感を与えるような服装を心掛け、目立つ髪形や不必要な動作を慎まなければなりません。<br>
神は、男女それぞれに特性を与え、それぞれが自分に与えられた性を受け入れ、どちらが優れていると比べる事をやめ、それぞれが神の定められた秩序に従い、自分に出来る精一杯の事を誠実に忠実に祈りつつ取り組む時、そこに神に祝福された家庭と教会が主(キリスト)にあって建て上げられることになるのです。
主が自分に期待してくださっていることは何か。主に伺いながら、一回一回の礼拝において共に礼拝を捧げる人々への配慮を保ちつつ、神に喜ばれる礼拝を共に捧げる者でありたいと願います。