小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

主にある幸いな人生とは

「ほむべきかな、イスラエルの神、主。
 主はその 御民を顧みて、贖いをなし、
 救いの角を私たちのために、
 しもべ ダビデの家に立てられた。」
             
        
                                                f:id:koumi2016:20160627201619j:普通  ルカ1:68~69

 

<主にある幸いな人生とは>    ピリピ2:25~30

 パウロが心からピリピの教会の兄弟姉妹たちに喜びをもって迎え、尊敬するようにと命じたエパフロデトの生涯から主にある幸いな人生とはどのようなものなのか考えてみましょう。
 まず、彼の宣教における役割を確認します。彼は、もともとピリピの教会の教会員であり、パウロがローマで投獄されていた時に、パウロの欠乏を満たすためにピリピの教会から代表して派遣された者でした。彼はローマで投獄されていたパウロに代わり、パウロの身の周りの世話から宣教に必要なあらゆることに関してパウロの手となり足となり精力的に奉仕しその結果、彼は病に倒れてしまったのです。彼をいのちがけの奉仕へと駆り立てたものは何だったのでしょうか。十字架の主のお姿です。イエス様は、いつでもどこでもだれに対しても全力で向き合い、手を抜くことなく、ご自身が天の父なる神様からいただいた愛を人々に注ぎ続けられたお方です。彼もそのイエス様にならう者になろうと務め励んだのです。

 彼のうちにあった主に対する献身の思いが私たちのうちにあるでしょうか。人間の魂が本来の神様のもとに立ち返ること。永遠の滅びではなく、永遠のいのちに生きる者と変えられ、霊的に新しくされた者たちが全身全霊で創造主を心から拝む者になることです。これが最優先されなければならないことなのです。天の父なる神様は、本気で礼拝する者を求めておられるのです。私たちの最大の奉仕は礼拝を捧げることです。これ以上に尊い事は他にありません。サタンは、常に私たちの目を私たちの心をこの世のことに向けさせようと必死になって働いています。これがあれば幸福になれる。あれがあれば心が満たされる。そのためにどんな大きな犠牲も惜しんではいけない。どんなことをしてでも手に入れるようにと惑わします。しかし、それによって得られるものは空しさなのです。
 「主にある幸いな人生を送りたい」と心から願うなら是非、自分にできる奉仕を捜し、自分から積極的に手を上げ、主のために自分に与えられた賜物をお捧げする者になりますと主の御前に立ち上がる者になってください。福音のためにいのちをかけることほど、幸いな人生は他にありません。主はこの驚きと感動に満ちた信仰の世界にあなたを招いておられるのです。勇気を出してこの未知の世界に一歩踏み出し、主の御業を共に見させていただける恵みに与る者になろうではありませんか。