互いに従い合う者となるために
「今は恵みの時、今は救いの日です。」
Ⅱコリント6:2
<互いに従い合う者となるために> エペソ5:21~24
互いに従い合う者となるとはどういう事なのでしょうか。
パウロは、三つの関係を例に上げて教えています。その最初のものが夫婦関係です。二つ目が親子関係、三つ目が主人と奴隷の関係です。
今日はその最初の例である夫婦関係から「妻に対する教え」を共に学んでまいりましょう。パウロは妻に対し、「自分の夫に従いなさい」と勧めていますがそれは夫に対する奴隷的な服従を強制しているわけではありません。なぜなら、妻に対し「教会がキリストに従うように」と人格的な服従を勧めているからです。
パウロの妻に対する勧めは「キリストと教会」の関係に置き換えることができます。私たちは、喜んでキリストのお命じになることに従おうとします。それはなぜか。それはキリストが教会のかしらであられ、キリストご自身が教会のために愛の犠牲を支払われたお方だからです。23節参照。イエス様は、私たちを霊的に死んだ者から霊的に新しく造り変えるために、十字架にかかりご自分のいのちを犠牲にしてくださいました。ですから、私たちはその犠牲の愛に応答し喜んでキリストのご命令に従おうとします。
では、夫が妻に対して犠牲を払わない時には従わなくてよいのでしょうか。いいえ、たとえ夫が妻のために犠牲を払わなくても妻は、夫に従うことが勧められています。それは妻のかしらは夫だからです。神様は家庭に秩序を与えられ、その秩序が守られる時、家庭の平和が保たれるようにされたことを常に忘れてはいけないポイントです。これは、とても厳しい命令です。神様に対する服従の態度がなければ実行不可能な内容です。イエス様は神様に対する完全な服従を身をもって弟子たちに示されたお方です。それが十字架の道です。さらに、主は互いに従い合うことを具体的に教えるために弟子たちの足を洗われたのです。私たちも罪を犯す度に主はご自身の血をもって私たちを罪の汚れからきよめ続けてくださっています。この愛にお応えし、私たちも互いの足を洗い合う者、互いに仕え合う者、助け合う者になろうではありませんか。
私たちが心から主の服従された姿にならい心から夫に従う者になる時、そこに主の栄光が現わされ、家庭が祝福されはじめるのです。夫婦の関係が改善され、家庭に秩序が回復し、いろいろな問題も解決に向かって動きはじめる幸いを共に喜ぶという祝福に与る者にしていただこうではありませんか。