光の子どもとして歩みなさい。
「子どものように
神の国を受け入れる者でなければ、
決してそこに入ることはできません。」
ルカ18:17
<光の子どもとして歩みなさい> エペソ5:8~14
私たちは、救われた後、分かるようになることが沢山あります。自分が無意識に行ってきたことが実は罪だったことを知るからです。あれも罪、これも罪、そして一番の罪がこの世界を創造された神様の存在を意識せずに自分勝手に自己中心に生きていたことです。ですから、その罪の罰である永遠の滅びを本来ならば私たち自身が受けなければなりません。しかし、この滅びから救われる道が一つだけあります。8節参照。この主にあってとは、光そのものであられる主イエス・キリストに結びつくことによってという意味です。
まことの世の光であられるキリストが私たちの心を照らし、私たちの心の中に入ってくださる事により、私たちも世の光と呼ばれる存在となり、罪を赦され、神の子とされ、この暗い世界を照らす役割を果たす者となることができるのです。
神の子ども(光の子ども)にはあらゆる善意と正義と真実という光の実を結ぶ者になることが期待されているのです。しかし、この光の実を結ぶことができなくするものがあります。それが罪です。ですから、その罪を私たちは常に明るみに出すことが求められるのです。明るみに出すとは、誰かに自分の犯した罪を告白するという意味ではありません。私たちがいつも覚えておかなければならない事は、すべてをご存知であられる主の御前に自分の犯した罪を言い表すことです。罪を犯したことを認めることです。主はどんな罪でも必ず赦してくださり、私たちをその罪の汚れから完全に清めてくださいます。ちょうど、太陽の光に当たると細菌などの病原体が死滅するように、私たちの暗闇のわざは主の光の前で消えてしまいます。イザヤ60:1~3参照。
暗闇のわざとは、淫らな行い、汚れ、貪り、わいせつ、愚かなおしゃべり、下品な冗談です。私たちはかつて、霊的に死んだ者として、この暗闇のわざを行っている者たちでした。しかし、キリストの光が私たちの心を照らし、私たちをそこから起き上がらせ、キリストの光を反映させながら、光の子どもとして歩むことができる者と変えられたのです。しかし、もし今、救われる以前の暗闇のわざに戻っていることがあるならば、その状態を素直に認め、主のもとに行き、キリストの光でもう一度清めていただきましょう。
そして、罪を赦された者、罪を清められた者として、あらゆる善意と正義と真実という実を結ぶ者と変えていただこうではありませんか。