小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

共に祈る群れとなる

聖霊があなたがたの上に臨むとき、
 あなたがたは力を受けます。
 そして、エルサレムユダヤとサマリヤの全土、
 さらに地の果てまで、わたしの証人となります。

              

                                                 f:id:koumi2016:20160627201619j:普通 使徒1:8

 

<共に祈る群れとなる>    使徒1:12~14

本日は、ペンテコステです。ペンテコステは、教会の誕生日です。
では、どのようにして教会は誕生し、宣教が何を原動力として進められたのかを共にみてまいりましょう。
 弟子たちは、イエス様の約束を信じて、共に集まり、心を合わせ、祈りに専念していました。使徒1:8参照。イエス様の約束を信じて祈る彼らの上に、聖霊様が天から降り、彼らを満たし、宣教の働き手として世界へと遣わされていきます。宣教の働きは、祈る群れから派遣された人々によって全世界に宣べ伝えられはじめたのです。その日から約2000年、祈る群れに聖霊様が豊かに臨んでくださり、その聖霊様の力が宣教の原動力となり、全世界に福音が届けられつつあります。
 今日の教会で当てはめてみるならば、祈祷会が宣教の働きを進めていく原動力を教会に与えることになると言ってよいでしょう。共に祈る群れが祝福されるのです。家族の救いのために自分だけで祈ることも大切ですが、同じ信仰をもつ兄弟姉妹と一緒に祈るならば、その祈る人自身が祝福されるのです。確かに、祈祷会に参加することは、多くの犠牲を伴うものです。日曜日の礼拝を守るだけでも多くの犠牲を払いつつ集われる方々にさらに、水曜日の祈祷会にも参加するようにと強いるつもりはありません。しかし、祈りのもたらす恵みの豊かさを覚える時、その祈りの力を体験させていただいた者として無理を承知で勧めずにはいられません。多くの犠牲を払い、涙をもってとりなし祈る兄弟姉妹の姿に感動し、自分がどれほど長い年月祈られ、守られ、支えられてきたのか。自分の救いのためにどれほど多くの方の祈りが積み重ねられてきたのか知ることができ、自分の罪深さを改めて自覚させられたのを昨日のことのように思い出されます。
私たちは、自分で思っているほど強いものではなく、一人で信仰を持ち続けていくことは困難です。互いのために執り成し祈ることが必要です。教会には、忠実な祈り手が神様によって備えられ、途絶えることなく2000年に渡り脈々と祈り手が加えられ続けてきました。私たちも主の命令に従って、宣教のわざに祈りを通して共に参加する者となってまいりましょう。そこに聖霊様が豊かに臨んでくださり、信仰のリバイバルが起るのです。