ただ、神によって
「キリストは、神の御姿であられるのに、
神としての在り方を捨てられないとは考えず、
ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、
人間と同じようになられました。」
ピリピ2:6~7
<ただ、神によって> マタイ2:1~12 ヨハネ1:10~13
今から2000年前、神の御子であるイエス・キリストは、私たちの罪を贖うために、人となって地上に来られました。しかし、神によって特別に選ばれたイスラエルの民は、神の御子であるイエス・キリストを歓迎しませんでした。星に導かれて、また、預言の言葉に確信を得て、ついに幼子イエス様のいる所までやって来たのは、不思議なことに、神の民ではなく、異邦の民、東方の博士たちでした。
イエス・キリストを神の御子と信じ、心にお迎えする時、まことの神様の存在を無視して、自己中心に生きている罪を赦され、神の子どもとなる特権をいただくことができます。そして、まことの神だけを礼拝する者として、新しく生まれ、造り変えられるのです。それは、ただ、神によってなされる恵みの御業です。 人間の救いは、人間の努力や功績によるものではありません。100パーセント神の恵みによるものです。恵みとは、それを受けるに値しない者が頂くプレゼントです。そのプレゼントがイエス・キリストなのです。
イエス・キリストがどのようなお方か良くわからないという方も正直おられるでしょう。けれども、プレゼントの中身が分からなくても、プレゼントを受け取ることはできるのです。プレゼントを受け取るために必要なことは、私たちの手を差し出すこと、ただそれだけです。自分の差し出す空っぽの手が信仰なのです。神様からの贈り物(イエス・キリスト)を感謝して受け取る時、あなたも神によって生まれ、神の子(養子)とされ、救い主の誕生を喜ぶ者として、新しい人生を神と共に歩み始めるのです。