小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

主を待ち望む信仰姿勢

「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって
 私たちにいのちを得させてくださいました。
 それによって神の愛が私たちに示されたのです。」
              

                                                    f:id:koumi2016:20160627201619j:plain Ⅰヨハネ4:9

 

<主を待ち望む信仰姿勢>      マタイ 26~29

 アドベント(待降節)は降臨節とも言われます。アドベントという単語は、本来、ラテン語 Adventus から来ており、ギリシャ語の「パルーシア」の訳語です。新約聖書の用法では「イエス・キリストの再臨」を指すために使われています。すなわち、「待降節」は、メシアの来臨を待ち望んだイスラエルの民になぞらえて、新約の教会がイエス・キリストの再臨を待ち望む事を覚えるための期間とも言えるのです。今日は、主が聖餐式を制定された箇所を通して、聖餐式の意味について学び、どのような思いで主の再臨を待ち望んだらよいのかその信仰姿勢を確認いたしましょう。
 主は、弟子たちが福音を宣教していく時に、必ず受けることになる迫害を耐え忍ぶことができるように、弟子たちが繰り返 し、自分の救いの確信を確認できるように、聖餐式を執り行うように命じられたのです。主が弟子たちに渡されたパンは、主の肉体を現わしています。私たちの罪が赦されるためには、罪のないお方の肉体が裂かれる必要がありました。神は、主の苦しまれる姿をご覧になられることにより、やっと人間の犯した罪を赦すことがおできになったのです。ですから、私たちは、その神と自分の関係を確認し続ける必要があります。
では、杯の意味は何でしょうか。主が弟子たちに与えられた杯は、主が十字架で流された血を現わし、その主の流された血は、神と人との間に交わされた契約の保証を意味しています。自分がどんなに罪深いものであっても、主が流された血によって、きよめられない罪など一つもありません。私たちは主の血の価値を正しく受け止め、大胆に恵みの御座に近づき、自分の犯した罪を言い表すことができるのです。神は、私たちが告白する罪を「完全に」赦してくださり、私たちに罪の赦しから来るところの「平安」を与えてくださいます。
 クリスマスは、神が私たちを罪の力から解放し、 罪責感からも解放し、喜びと感謝をもって御前に出ることのできる者と変えるために神の御子が降誕された日です。愛するひとり子を犠牲にしてまで、私たちを救いたいと考えられた神の愛を受け取り、その神の愛に応答し、互いに愛し合う者となり、平和をつくる者になることが求められています。愛であられるイエス・キリストを心にお迎えし主に従う道を選択するならば愛を行動であらわす人に少しずつ変えられるのです。
主は、約束どおりに再び地上に戻って来られます。いつ主が戻られても慌てることがないように、主の死と復活を告げ知らせ、主の命令に従う生活を実践する者になりたいと願います。