小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

神に対する畏れの重要性

「あなたには、わたしのほかに、
   ほかの神々があってはならない。                

                      f:id:koumi2016:20160627201619j:plain 出エジプト記20章3節

 

神に対する畏れの重要性> 使徒5:1~11

この箇所には、とても衝撃的な出来事が記されています。自分の持ち物を売った代金を偽って報告した夫婦がふたりとも人々の目の前で倒れて息が絶えたと記されているからです。神様を欺くことがいかに危険な事であるかを思い知らされます。初代教会の人々は、それを直接経験させられたのです。私たちも、神様を欺くことに対し、恐れを覚えるものでありたいと願います。
私たちは、アナニヤとサッピラのようにすぐに神様からいのちを奪われるようなことはないと考えるかも知れません。しかし、神様に対する畏れを失うことはすでに裁きがくだっていると言えるのです。なぜなら、神様に対する畏れを失うと罪の悔い改めができなくなるからです。すべてを知っておられ、すべてを裁かれるお方の御前に生かされているという自覚があるからこそ、自分の犯した罪を悔い改めます。信仰がなければ誰も罪を悔い改めることはできません。神様の御前に罪を悔い改めることが出来なければ罪を赦していただくことができずに滅びるしか道がありません。
ですから、私たちはアナニヤとサッピラに起こったようなことが自分に起こらないからと言って安心してはならないのです。肉体の死がすべてではありません。肉体の死と同時に霊の死があることを覚え、目に見ることのできない霊的な部分に心を向ける者でありたいと願います。どんなに人の目に優れた行為をしている人がいても、その人が心から神様を畏れてそれらの行為をしているとは限りません。人から良く思われたい。人からの称賛を得るために施しをしている場合があるからです。神様は、偽善を一番嫌われるお方です。 
私たちは、自分の心がいつも神様の御前に正常な状態にあるかどうかを点検する必要があります。神様は、みことばを通して、私たちの心の中にある醜い思いを示してくださいます。特に、偽りは、教会にとって愛の共同体を内側から破壊するものです。神様は、教会を破壊するものに対し、特別厳しいさばきをくだされるお方であることを忘れてはならなのです。Ⅰコリント3:16、17参照。 
私たちは、キリストのからだである教会の各器官としての役割が与えられています。その器官としての役割を果たすことなく、逆にからだの調和を乱すようなことをするならば神様によってからだから摘出されることを覚えたいと思うのです。すべての事を正しく裁かれるお方が教会全体の健康状態を知っていてくださり、適切に処置してくださることを信じ、自分の霊的な状態も神様から教えていただきながら、神様を畏れつつ、御前に歩ませていただけるように祈り続けましょう。