小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

キリストこそ私たちの平和

「強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。
 あののいてはならない。
 あなたが行くところどこででも、
 あなたの神、主があなたとともにおられるのだから。」
              

                                                    f:id:koumi2016:20160627201619j:plain ヨシュア1:9

 

<キリストこそ私たちの平和>      エペソ2:14~16

 この地上には争いが絶えません。国と国が敵対し、家庭においても職場においても学舎においても争いはなくなりません。目に見ることができなくても互いの間に隔ての壁が存在しています。ユダヤ人と異邦人の間にも隔ての壁がありました。キリストは両者の間にあった壁を十字架にかかることによって取り除いてくださったのです。ユダヤ人は、自力で律法を守ることにより神の御前に義と認められると信じていましたが罪人である人間に律法を守ることはできません。律法が与えられた目的は、人間が罪人であることを自覚させることにより十字架のもとにへりくだる者とすることです。キリストは、ユダヤ人のためにも異邦人のためにも身代わりに罪の罰を受け、十字架につけられたお方を主として仰ぎ見る者を救ってくださいます。
 パウロは、主を信じて救われた者同士はひとりの新しい人であると宣言します。この新しいという言葉は、時間的な新しさを意味するネオスではなく、質的な新しさを意味するカイオスが使われています。新しく造られた教会に属する私たちは過去に束縛されない新しい存在とされた者たちなのです。互いの違いはもはや問題になりません。逆にその違いがキリストのからだの豊かさになります。それぞれに与えられた賜物を活かし、互いに仕え合うならばその働きは無限に広がるのです。自分に与えられた賜物を兄弟姉妹の徳を高めるために最大限に活用することにより主のからだである教会を建て上げていくことが新しくされた私たちの使命です。私たちは、つまらぬことで意地を張り合い、互いの違いに目を向け、相手の存在を否定的に受け止めることがあります。この人がいなければどんなに気持ちが楽になることだろう。しかし、思い出して欲しいのです。その人のためにもキリストはいのちを犠牲にされた尊い存在であることを。争いが起こってもその度に十字架の主を仰ぎ見るなら自分の罪が示され、自己主張は消え、再び平和が訪れます。私たちは、もはや別々の存在ではなく、ひとりの新しい人として造り変えられた存在であることを覚えましょう。
私たちは、平和の君であられるキリストを心に迎えることにより神との平和を体験した者たちです。同時に天の父なる神をアバ父と親しく呼べる関係を与えられた者として、大胆に祈り求めることができる特権が与えられています。神と親子の関係に移された私たちは、キリストを長子とする兄弟姉妹の関係に移された者同士です。永遠に続く家族の一員として、互いにとりなし合い、励まし合い、互いの欠けを補い合いならがキリストのからだの器官としての役割を果たしましょう。