小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

神の子どもに求められること

「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、
 神はその願いを聞いてくださるということ、
 これこそ神に対する私たちの確信です。」

                                     
                f:id:koumi2016:20160627201619j:plain Ⅰヨハネ5章14節

 

<神の子どもに求められること>             ローマ 8:28~29

 神様は、救われ、神の子とされた私たちの霊的、人格的成長のために、新しい家族を与えてくださいました。新しい家族とは、同じ信仰告白をする同じ教会に属する兄弟姉妹です。ローマ8:29参照。
 私たちは、イエス様を長子とする家族の一員なのです。教会は召し出された者たちの群れです。教会に属する一人一人は、自分でその教会に属する者になったような感覚を抱きますが実はすべての人が神様によって今の教会に導かれているのです。ローマ8:28参照。本人が教会を選んだのではありません。いろいろな思いがあっても神様は今、置かれているその教会で自分を訓練し成長させてくださろうとしていることを覚えましょう。長く教会生活を送る時、人間関係に悩むこともあります。あの人がいなければもっと教会に行くことが楽しいのにと思われる事があるかも知れません。神様は、苦手な人をあえて備えてくださり、私たちがイエス様の命令に従い、受け入れ難い人を受け入れることができるように成長するのを期待しておられます。
また、教会には、いろいろな奉仕があります。救われたばかりの時は、自分のしたり、喜んでできる奉仕を優先することもよいでしょう。しかし、人が嫌がる奉仕を率先してすることが必要な場合もあるのです。例えば人間関係で争う兄弟姉妹がいた場合、間に入りその争いを和解に導く奉仕などは誰にとっても荷が重いものです。しかし、当事者同士ではどうにもならない場合もあるからこそ、助けとなる存在が必要です。中立の立場にある者が、お互いの意見を公平に聴き合い、お互いが歩み寄る点を見つけ出す。その骨のおれる作業をするには、愛が必要です。

使徒の働きにバルナバという人物が登場しますが、彼は敵対する者同士を和解させることのできた人でした。バルナバの執り成しがなければ、パウロキリスト者の仲間に入ることはできなかったはずです。キリスト者には、和解の務めという尊い奉仕があることを覚えたいと思います。いつの日か私たちもバルナバのように、人々に慰めを与えることのできる存在に変えられていきたりと願います。父なる神様は、はじめから完壁を求めるお方ではありません。心のこもった捧げものならばどんなものでも父なる神様は喜んでくださいます。ですから、どんな奉仕でもチャレンジしてみましょう。失敗を恐れずに自分にできることなら何でもさせていただく、その姿勢を忘れることなく神の子どもとされた特権を感謝しつつ喜んで互いに仕え合う者に変えられていきたいと願います。