主の輝くお姿
「よくやった。良い忠実なしもべだ。
あなたは、わずかな物に忠実だったから、
私はあなたにたくさんの物を任せよう。」
マタイ25章21節
<主の輝くお姿> ヨハネの黙示録 1:9~19
(1) ヨハネが見た人の子のような方 (9~13節)
~ちょっと不思議な光景。 ヨハネが聞いた大きな声。そして振り向くと「人の子」のような方。
(17~19)には、わたしは、復活した。こうして見ると、
このお方はイエス・キリスト。
(2)主の輝くお姿 (13~16)。
~そしてその方が、こんなお姿であった
① (13節)「足まで垂れた長い衣」。この長い着物、威厳のあるりっぱなお方。 そして「胸に金の帯」。これは、聖書に出てくる大祭司よりもはるかに優る金の帯。
② (14節)「頭と髪の毛は、羊毛のように、また雪のように白かった」。
これは、イエス様は、全きお方、罪のない真白なきよいお方であった。そして「その目は、燃える炎のようであった」。これは、燃える炎のような目。するどく罪を見抜き、正しきを見抜く。その強い決意を表わしている。
③ (15節)「その足は、炉で精錬されて、光り輝くしんちゅうのようであった」。
これは、りっぱな足。すべてを支配し、その足元にすべてを治める。そして
「その声は大水の音のよう」。権威のある、威厳のある、大きな声を発していた。
④ (16節)「右手に7つの星を待っていた」。この7つの星は、教会。「口からは鋭い両刃の剣が出ていた」。両刃の剣は、神のするどいみことば、それがその口からは出ていた。「顔は強く輝く太陽のよう。」栄光で輝くお方であった。それがこの時見られた、イエス様のお姿。輝くお姿。
(3)復活の恵み (1 7~1 9)。
~復活。それは人が全く無カとなる。「それでも」その先もある。決して無ではない。人生に3つの坂。 上り坂、下り坂、「まさか」。「まさか」は、災害、事故、事件、病気、人との関係、自死など。なぜそうしたことがあるのか。(出エジプト4: 11)。それが、死んでも、それだけでは終わらない。たとえ死んでももう1度復活する。復活。
(まとめ)
そのお方が言われること。それを私たちはしっかりと受け留めて、それでも生 きる者でありたい。