小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

いのちの宣言

「ここにはおられません。
 前から言っておられたとおり、
 よみがえられたのです。」

                                     
                f:id:koumi2016:20160627201619j:plain マタイ28:6

 

<いのちの宣言>      ヨハネ11:1~6 17~27

 私たち人間にとって誰もが経験しなければならないことが一つあります。それは、死の問題です。いのちのある者は、必ず、いつか死ぬことが定められています。
それは、誰もが知っていることです。そして、死を恐れる思いもすべての人に与えられています。なぜ、私たちは死を恐れるのでしょうか。それは、死が神様の人間に対する刑罰だからです。創世記2:17参照。このように、死は神様からのさばきであり、のろいを意味しています。神様の命令に背いた人間が死ぬ者となったのは罪を犯した結果なのです。ですから、私たちは死を恐れるのです。
 マルタが兄弟ラザロの死に直面し、その死に対する悲しみと恐れをどのように乗り越え、希望をもつ者に変えられたのかをみてまいります。マルタは、イエス様のお力をよく知っていました。イエス様が歩けなかった人を癒され、目の見えなかった人の目を癒され、ロのきけなかった人を癒やすことのできるお方であることを知っていたからです。しかし、そのマルタであっても、死に直面すると悲しみに囚われ、絶望するしか仕方がなかったのです。このマルタの姿は、私たちの姿にも重なるものです。私たちも、愛する者の死に直面すると何とも表現しがたい悲しみと絶望と無気力感に襲われることがあります。しかし、マルタは、悲しみの中にあってもイエス様のお力を信じていました。22参照。
 マルタの悲痛な 訴えに対し、イエス様は「あなたの兄弟はよみがえります。」とお答えになりました。マルタはイエスに言った。「私は、終わりの日のよみがえりの時に、彼がよみがえることを知っております。」マルタの答えは、当時の一般的な復活信仰でした。マルタをはじめ、その当時の人々は、人間が死んだ後、終わりの日に復活することを信じていました。愛する者の死に直面し、悲しみのうちにある者にとって終末の日の復活は、気休め程度の役割しか現実的には果たしていなかったのです。
  私たちはどうでしょうか。死の前に、私たちは自分の無力さをいやというほど自覚させられます。マルタは、その絶望と無力さの只中でイエス様をお迎えすることになります。マルタはイエス様の口から重大ないのちの宣言を聞いたのです。イエス様は、マルタに言われました。
「わたしはよみがえりです。いのちです。
 わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。
 また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。
 あなたは、このことを信じますか。」
マルタはイエスに言った。
「はい。主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストである、と信じております。」
エス様は、あなたにも語りかけておられるのです。