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小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

神が用意された確かな救い

「この方を受け入れた人々、
 すなわち、その名を信じた人々には、
 神の子どもとされる特権をお与えになった。」
                            

                  f:id:koumi2016:20160627201619j:plain  ヨハネ1章12節

 

 <神が用意された確かな救い>      へブル10:1~10

イエス様を信じたばかりの頃、自分は本当に救われたのだろうかと不安になったという記憶をもたれる方がおられるでしょうか。私たちは、救われた後も罪人に変わりはありません。イエス様を信じて心にお迎えしたら、罪を犯さなくなるわけではないからです。旧約時代の人々も、モーセの律法に従って毎年、大祭司が人々の罪を贖うために動物を犠牲として捧げていました。しかし、動物の犠牲では人々の心のうちから罪責感を拭い去ることはできなかったのです。また、天の父なる神様は、罪に対して完全な血による贖いを求められるお方です。どんなに多くの動物の血が捧げられても、どんなに人々が自分のもっているものの最高のものを捧げても、それによって満足されるお方ではありません。へブル10:4~9参照。

天の父なる神様の罪を犯した人間に対する要求はその人のいのちです。「罪から来る報酬は死です。」とあるように罪人として生まれ、日々、罪を犯し続けている人間の行き着くところは死であり、永遠の裁きです。罪人として生まれ、罪を犯し続けてきた者がまことの神様を信じる者となり、その神様が用意された救いを受け入れるということは奇蹟以外の何ものでもありません。
目に見えるものしか信じない。この世でいかに栄えるか、権力を求め、地位や人々からの称賛を得るために必死に生きてきた者がそれらのものに関心を示さなくなる。それは人間業ではありません。まさに神業です。神様だけが罪人である人間を救うことができます。
私たちに聖霊を与え、信仰を与え、罪の自覚を与え、信仰告白に至るまで導いてくださったお方の存在がなければ「誰ひとり救われる人はいない」のです。自分の力や努力で救いを勝ち取ったと言える人はいません。そして、自分の救いの確信を自分の感情においてはならないのです。救われた確信を自分の感情に置くならば、極端な話し、昨日は救われている気がしたが今日は救われていない気がするという事になってしまいかねません。移り変わりやすいものを救われているかどうかの基準としてはなりません。救いの確信の根拠は聖書のみことばだけです。なぜなら、聖書のみことばだけは永遠に変わることなく、残り続けるものだからです。そして、聖書のみことばが本当の意味で人を救い、人を生かします。みことばと共に働かれる御霊によって人間は救われるのです。ローマ8:14~16参照。
私たちは、御霊すなわち聖霊の働きにより、イエス様を神の御子であると信じる者とされ、その信仰によって神の子という身分が与えられました。ですから、神の子という身分は、私たちが罪を犯したからと言って変わることのないものであることがわかります。親子の関係を考えてみればよく分かるように子どもが親に反抗したからと言って親子の関係が変わることはありません。子どもが自分の否を認め、親のもとに帰るならば、親は子どもを赦し、受け入れ、親しい関係を回復することができるのです。ですから、安心して天の父なる神様のもとに立ち帰り続けましょう。