小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

神がともにおられる幸い

「主は私たちの王、
 この方が私たちを救われる。」
             
        
                                                f:id:koumi2016:20160627201619j:普通  イザヤ33:22

 

<神がともにおられる幸い>    マタイ1:18~25

 マタイの福音書を書いたマタイは、福音書の最初と最後にインマヌエルと呼ばれる主がおられることを記しています。神がともにおられることがどれほど私たちにとって幸いなことなのか。ヨセフに主の使いが現れた箇所を通してみことばに聴いてまいりましょう。
 救い主の誕生は、聖霊の働きのよるものであるとヨセフは、主の使いの口を通して知らされます。ヨセフは、自分たちの経験したことをどのように家族や親族に説明したら良いか苦悩したことでしょう。しかし、主の使いは、マリヤの胎に宿った子どもは、人々からインマヌエルと呼ばれる。インマヌエルとは、「神が私たちとともにおられる」という意味の名で呼ばれる者になると告げられたのです。これはヨセフにとってどれほど大きな慰めとなったことでしょう。彼がこれから背負うことになる苦悩は自分だけでは到底担いきれない重荷であることは間違いありません。しかし、それらの重荷をともに負ってくださる方がおられるのだ。しかも、そのお方はこの世界を何もないところからことばだけで造られた全能者であられる。そのお方が自分と共に居てくださる。これ以上に心強い励ましと慰めは他にありません。それでも、ヨセフは、自分に委ねられた使命の大きさに心が押しつぶされそうになることがあったはずです。しかし、彼はその度に自分から目を離し、自分にこの尊い使命を与えてくださった神様に目を向け直すことにより、上から新しい力と勇気と平安をいただき立ち上がることができたのです。
 皆さんの中にも、今、大きな試練の中におられる方がいらっしゃるかも知れません。また、これから自分が経験することになる苦難を予測して恐れを覚えておられる方がいらっしゃるかも知れません。誰でも未知の事に向かう時、恐れや不安をいだくものです。その時に思い出していただきたいことがあるのです。それは、あなたは一人ではないということです。小さなことから大きなことまで神様のご計画とご支配のもとに置かれているという事実です。
神様が私たちを救うために愛する独り子であられるイエス様を地上に遣わされたクリスマスを毎年、お祝いできる幸いを心から神様に感謝し、どんな時でもともに居てくださる神様がおられることを心に刻みつつ、これからも神様とともに神様から力と勇気をいただいて自分に与えられた使命と責任を全うする者になりたいと願います。

 

神に喜ばれる決断

「私のたましいは主をあがめ、
 私の霊は 私の救い主である神をたたえます。」
             
        
                                                f:id:koumi2016:20160627201619j:普通  ルカ1:46~47

 

<神に喜ばれる決断>    ルカ1:26~38

 救い主の母親として選ばれたマリヤとは、どのように生きた人だったのでしょうか。御使いからメシヤの母となることを告げられたマリヤの態度から神に喜ばれる決断についてみことばに聴いてまいりましょう。
マリヤは、御使いの口を通して告げられた約束のことばだけを信じて、恐れつつ、とまどいつつ、神に仕え、その召しに従う決断をしたのです。神様は、マリヤの決断を喜ばれたのです。このマリヤのうちに見られる素直さと従順さは、イエス様のうちにも受け継がれます。
 マリヤは、イエス様が物心着く前からイエス様がどのようにしてマリヤの胎に宿ったのか。御使いから告げられた内容をイエス様に聞かせながら育てたはずです。イエス様は、幼い時から聖書を読み、聖書に記されているメシヤ預言が自分の事を指していることを一つ一つ確認し、受け入れられます。自分が地上に派遣された目的について、その目的を果たす前に人々からどのように扱われることになるか。家族からも兄弟たちからもやがて理解してもらえない時が来ることも承知のうえでその苦難の道を選ぶ決断をします。
 天の父なる神様は、私たちではなく、あなたと一対一の親密な関係に親子関係に入ることを望んでおられるのです。では、神と人間の親子関係はどのように結ばれるのでしょうか。それは、あなたが神様の約束のことばを信じて実際に従って行動してはじめて結ばれるのです。マリヤは、御使いの口を通して告げられた約束のことばだけを信じて、恐れつつ、とまどいつつ、神に仕え、その召しに従う決断をしたのです。信仰の世界とは見ずに信じることが求められるところです。信仰の世界は、実際に入ってから分かるようになる面が沢山あります。自分を安全地帯に置いたままでは、決して味わうことのできない驚きと感動に満ちた世界です。その素晴らしい世界に入るようにと神様は、マリヤを選ばれたように、あなたを選ばれ、あなたに声をかけておられるのです。


 マリヤが御使いの受胎告知を素直に受け入れ、「神にとって不可能なことはなにもありません」と言った主の使いの約束の言葉を信じたように、私たちも神様の変わることのない愛を信じ、変わることのないみことばの確かさの故に、前にむかって勇気を出して父なる神様との一対一の関係に入るために新しい一歩を踏み出す者になりましょう。天の父なる神様は、あなたのその決断を喜んでくださいます。

 

主にある幸いな人生とは

「ほむべきかな、イスラエルの神、主。
 主はその 御民を顧みて、贖いをなし、
 救いの角を私たちのために、
 しもべ ダビデの家に立てられた。」
             
        
                                                f:id:koumi2016:20160627201619j:普通  ルカ1:68~69

 

<主にある幸いな人生とは>    ピリピ2:25~30

 パウロが心からピリピの教会の兄弟姉妹たちに喜びをもって迎え、尊敬するようにと命じたエパフロデトの生涯から主にある幸いな人生とはどのようなものなのか考えてみましょう。
 まず、彼の宣教における役割を確認します。彼は、もともとピリピの教会の教会員であり、パウロがローマで投獄されていた時に、パウロの欠乏を満たすためにピリピの教会から代表して派遣された者でした。彼はローマで投獄されていたパウロに代わり、パウロの身の周りの世話から宣教に必要なあらゆることに関してパウロの手となり足となり精力的に奉仕しその結果、彼は病に倒れてしまったのです。彼をいのちがけの奉仕へと駆り立てたものは何だったのでしょうか。十字架の主のお姿です。イエス様は、いつでもどこでもだれに対しても全力で向き合い、手を抜くことなく、ご自身が天の父なる神様からいただいた愛を人々に注ぎ続けられたお方です。彼もそのイエス様にならう者になろうと務め励んだのです。

 彼のうちにあった主に対する献身の思いが私たちのうちにあるでしょうか。人間の魂が本来の神様のもとに立ち返ること。永遠の滅びではなく、永遠のいのちに生きる者と変えられ、霊的に新しくされた者たちが全身全霊で創造主を心から拝む者になることです。これが最優先されなければならないことなのです。天の父なる神様は、本気で礼拝する者を求めておられるのです。私たちの最大の奉仕は礼拝を捧げることです。これ以上に尊い事は他にありません。サタンは、常に私たちの目を私たちの心をこの世のことに向けさせようと必死になって働いています。これがあれば幸福になれる。あれがあれば心が満たされる。そのためにどんな大きな犠牲も惜しんではいけない。どんなことをしてでも手に入れるようにと惑わします。しかし、それによって得られるものは空しさなのです。
 「主にある幸いな人生を送りたい」と心から願うなら是非、自分にできる奉仕を捜し、自分から積極的に手を上げ、主のために自分に与えられた賜物をお捧げする者になりますと主の御前に立ち上がる者になってください。福音のためにいのちをかけることほど、幸いな人生は他にありません。主はこの驚きと感動に満ちた信仰の世界にあなたを招いておられるのです。勇気を出してこの未知の世界に一歩踏み出し、主の御業を共に見させていただける恵みに与る者になろうではありませんか。