小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

救いの根拠

「私は、神に信頼しています。

 それゆえ恐れません。

 人は私に何をなしえましょう。」 

                

                  f:id:koumi2016:20160627201619j:plain 詩篇56:11

 

 <救いの根拠>   ガラテヤ1:6~9

パウロは、多くの手紙を書き残しています。そして、パウロの手紙の書き出しには、必ずと言っていいほど感謝と賛美の言葉が記されています。しかし、ガラテヤ人への手紙には、のろいの言葉が記されているのです。8節参照。
キリスト者の口から、人をのろう言葉が出るとは、信じ難いことです。しかし、パウロが何に対して、怒りを覚えていたのかを知るならば、彼の怒りが正しいものであったことがわかります。
パウロが見過ごすことのできなかった事態とは、6節に書かれてあるように、ガラテヤの教会の人々がパウロの宣教した福音とは違う教えに心を奪われていたからです。パウロが宣教した福音とは、信仰のみによって救われるという内容でした。しかし、ガラテヤの教会の人々は、エルサレムから来たユダヤ教主義クリスチャンの影響を受け、信仰だけでなく、律法を守ることや割礼を受けることが救われることの条件であると信じるようになっていたからです。どうして、ガラテヤの教会の人々は、パウロの宣教した信仰のみによって救われるという福音から、律法や割礼を受けなければ救われないという教えに惑わされていってしまったのでしょうか。それは、私たちが権威に弱く、形式重視の教えに心が傾き易いものだからです。ガラテヤの教会の人々も、エルサレム教会という大きな後ろ盾のある先生たちが教えてくださることならば、間違いないと信じ込み、パウロが伝えた信仰のみによって救われるという福音から律法を守ることと割礼を受けることがなければ救われないという偽りの教えに影響を受けその教えを信じるようになっていました。しかし、この教えは、パウロにとって見過ごすことのできない重大な誤りのある教えであったため、いつもなら感謝や賛美を書き記してから用件にはいるところ、いきなりのろいの言葉を書き記さなければならないほど、パウロは驚きと共に怒りを覚えていました。信仰のみの救いに別のものを加えるものは、のろわれよと2度も繰り返し、警告していきました。
パウロがそれほど怒りを覚えた理由は、もし、救いに信仰以外のものを付け加えるならば、それはイエス・キリストの十字架の死が不十分であることを主張することになるからです。罪ある人間が、神様のなされたことに対し、それでは不十分だと言えると考えているとしたら、それこそ高慢な思いであり、そのような間違った教えを伝えた人々は、当然神様ののろいを受けることになります。ですから、私たちはイエス・キリストの十字架の贖いがどんなに完全なものであるかを聖書から学び続け、正しい福音の理解を持つ必要性があるのです。
神様は、イエス様の十字架の贖いを受け入れられたしるしとして、イエス様をよみがえらせてくださいました。私たちの救いの根拠は、イエス・キリストの十字架の贖いの死と復活にあります。この真理から反れることなく、いのちをかけて救ってくださったイエス様の十字架の死と復活を宣べ伝えてまいりましょう。