小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

大胆に神に近づく者になる

「主よ、お話ください

 しもべは、聞いております。
              

                                                 f:id:koumi2016:20160627201619j:普通 Ⅰサムエル3:9

 

<大胆に神に近づく者になるエペソ3:12

 人間は、生まれられたらに罪の性質をもち、日々の神様の御前に罪を犯し続けています。ですから、その罪をさばけるお方を私たちは恐れてるのです。私たちも、信仰を与えられる以前、神様に対してなんて言えない恐怖心があったのはないでしょうか。またしたら信仰を与えられた後も、その恐怖心から完全に開かれていてもない人もいられるかも知れません。今日の箇所で「確信をもって大胆に神に近づけることができます。」と断ります。パウロ
は私たちが神に近づく根拠としてキリストをあげています。12節参照。私たちはキリリストにある過去、罪によって神のもとから迷い出して、神から遠く離れた存在でした。罪を犯したアダムとエバエデンの園から追放されたように。アダムたちから受け継いだ罪の性質が 間のうちに、神と人間の交わりを妨げています。です、これから、私たちは罪をさばける神の御前に恐れを抱きこめないでくださいたち。今から、今から二千年前の神の御子であられるイエス・キリストが私たちの身代わりとして、、罪の罰を負、十字架上で私たちが受けるべ罪の罰を差し替えに受け付けてくれたことより罪が善され、神の御前にに、誰でも、十字架にかけられたイエス・キリストを信じるならばその人の罪は赦され、義と認められ、神の御前に出されることになる。に義と認められる道が備えられたのです。のです。さらに、キリストに対する信仰より、信じる者は神の子という身分が与えられるのです。
すべての人間は、神に造られた存在という意味で神の子ですが生まれないからの人間は天の父なる神様と親子関係にはありません。本当にの意味で神の子は、イエスクリケットですですしし、キリストに対する信仰を与えられ、キリストを主と告白した時、その人は神の子(養子)とされます。驚くべきことではキリスト者は、神の子とされたゆえに創造主であれから、もう私たちは創造主であられる神様を以前のように恐れる必要はありません。聖書に耳を傾け、天の父なる神様の指定されるみことばに付随して生きるある自身がキリストに似た者に変えられ、キリストが天の父親的な神様を頼みにしたことをひとつずつ実行する時、新しい発見や変化が生じてきます。ようにあった 父なる神様に信頼して大胆に祈ることのできる者に変えられるのです。

 

キリストの測りがたい富

「主は私の羊飼い。
 
私は乏しいことがありません。
              

                                                 f:id:koumi2016:20160627201619j:普通 詩篇23:1

 

<キリストの測りがたい富>           エペソ3:8~11

 私たちは、どこに人生の焦点を合わせて生きているのでしょうか。地上の繁栄でしょうか。それとも天でいただける神からの賞賛でしょうか。パウロは、多くの困難を乗り越え、自分の走るべき道のりを完走し、充実した人生を送りました。パウロの価値観は、キリストに出会うことでそれまで誇りとしていたものがみな色褪せて見えるようになりその価値を失ったのです。ピリピ3:4~14参照。パウロはキリストと出会い、神と出会うことにより、本当の自分の価値を知り、他の被造物の価値も正しく受け止めることのできる人に変えられたのです。それは私たちも同じです。
では、私たちが救われて価値観が変えられ、罪の力から自由にされたのは何のためでしょうか。それは造り主であられる神のすばらしさを世に証することです。神を愛し、神のご命令に喜んで従うことです。神のご命令に従う時、祝福された人生を歩むことができるのです。マタイ6:24~33参照。しかし、神の祝福は、正しく用いることが求められるものであることを覚えたいと思います。受けた祝福は、分かち合うために与えられるものだからです。自分さえよければと受けた恵みをひとりじめしようとするならばその祝福はその人から取り去られ、富も災いとなり、その人を滅びへと導きます。なぜなら、私たちは富の用い方を誤ったり、その富の奴隷になってしまう場合があるからです。ですから、私たちは、目に見える富ではなく、目に見ることのできない富を求める者になりたいと願います。
パウロが体験したキリストの測りがたい富とは、神が与えてくださった福音です。福音の内容(キリストご自身とその御業)を知ることです。また、神のご計画の確かさについて知ることです。神の人類を救うご計画は、世界が創造される以前からすでに神のうちにあったものであり、サタンや人間がそのご計画を阻止できるような不確かなものではありません。神のご計画は、神の絶対主権のもとで、時が満ち、イエス・キリストによって実現し、キリストのからだである教会を通して、その救いの御業は今も継続され続けています。そして、神の救いのご計画は、壮大なものであり、人間だけに示されるものではなく、天にいる御使いたちにも、示されるものです。エペソ3:10参照。

私たちは、この壮大な神の救いの御業に参与することが許されています。これ以上に光栄な務めは他にありません。すべての造られた者が創造主に立ち返り、すべての栄光が神に帰される日が来るように祈りつつ共に福音を宣べ伝えてまいりましょう。

神の恵みによる救い

「きょうダビデのまちで、あなたがたのために
 すくいぬしがおまえになりました。
 この
かたこそ、主キリストです。
              

                                                 f:id:koumi2016:20160627201619j:普通 ルカ2:11

 

<神の恵みによる救い>ヨハネ1:9〜13

 イエス・キリストはは、今から2000年前に私たちと同じ肉体を持つお方と、地上に来てしまった神の御子です。そんなんなの事をお祝いすてるてる日が  クリスマスです。
、イエス様がお住まいになる何百年も前から預言者を通って預言されていたことでした。神の選択の民であるイスラエルの民は、その神の御子が来ることを待ち合わせです、実際に制御子が来られた時、イエス様を心から喜んで迎える人はすべてわかってであり、選ぶの民であったイスラエルの民は、喜びどこか逆に恐怖だった  1〜3 。参照
人間の心は、神の約束を待ち合わせに罪で頑固になり真理を自己中心に受ける理解者になったのです。制御子は、ご自身の造られた世界に私たちと同じ肉体をもつ人とってる来なくくれてるてるななら救い主のしてるてるしであてるてる奇蹟を現しましたんんが人 御子ヨハネ19-11参照。それは現代とも同じです。、創造中心(神)に逆らえている私たちには、必ず滅びが待っている新しいものが来る前には、古いものが、神中心では神様は新しい天と新しい地を造られるには、今ある天と地を当日(終末)が来る前に、私たちはいつもの返事をする者です。たくさん、自分中心に生きることを選択しています。になりたいとお願いします。壊れているのです。
  すぐに自分の力を越えて、自力で生きているような錯覚を言っている者たちですが本当には神様のああみみのゆえにかろうじて「生きているほうですね」明日の心づけ十年後の今日、一日生きられるかどうか確定しない者たちが先のことを心配しからと言って何の恩恵があるのか​​。私たちは、その日であればは心配をしている場合ではありません。ただそれだけでは問われるのです。何をしたいかではなく、どうして生きたいか。自分と神様との関係をいつも確認したい人であります。  希望とします。
、今から二千年前に神の御子という一番大切な存在を私たちの救いのために犠牲にされ、人間に対する愛を証明してください、その愛を福音の種の中に入れられる、信を御子そんなんなしてるいますそんなの種 今、全世界の人々に届く、それの地で芽を出し、神の愛を受けた人々が続けてと救われています。私たちもええみによっていっぱいのその神の愛を家族や友人や知人に届く者になりたいと思います。