小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

キリスト者の任務

「主のはかられることは、とこしえに立ち、
 みこころの計画は代々に続く。」

                                     
                f:id:koumi2016:20160627201619j:plain 詩篇33:11

 

キリスト者の任務>     使途26:1~32

 人々の関心は、地上で栄えること、自分の欲望を満たすこと、人の上に立ち支配者となること、それはイエス様の弟子たちも同じでした。弟子たちは最後の最後まで弟子の中で誰が一番偉いかと争ていました。その証拠に弟子たちは、イエス様が囚われるとイエス様を一人残しみな逃げ出して行きました。彼らはいざとなると自分の地上におけるいのちの事しが考えていなかったのです。それは、現代も同じです。イエス様を信じた私たちも主のために苦しむことを好みません。なるべく、世の人と同じように生き、真理に従うことにより周りの人との衝突が起きないようになすべき真理を知りながら真理に背くことをしている場合があるのです。しかし、それではまことの神様を信じていることをどうして人々は知ることができるでしょうか。私たちの生き方が問われているのです。神と人の前で公明正大な生き方を選択することが求められています。
 パウロの生き方は、誰の目にも明らかであり、証言する者も沢山いた事実です。彼はユダヤ教に熱心であり、律法を忠実に守り、キリスト者を捕らえるためにダマスコまで追撃するほど神様に対し誠実に生きた人です。しかし、パウロは自分のしてきたことが間違っていたと告白しています。罪には「的外れ」という意味があります。パウロは、キリスト者を捕らえることが神様に喜ばれることであると本気で考えていましたがそれは的外れな行為だったのです。そして、自分の間違いを正されたパウロは、生き方の軌道修正をいただき、キリストの復活を証する人に変えられたと証しします。4~23参照。
 パウロは主の約束どおり王の前で福音を証するチャンスを与えられ、彼はそのチャンスを最大限に用いました。この後、フェストやアグリッパ王や同席した人々がイエス様を信じるようになったが分かりません。しかし、私たちもパウロのように人々に対し自分を救ってくださったお方の事を証する責任を果たしましょう。
 「あなたがたは世界の光です。山の上にある町は隠れることができません。」私たちは、この世において光であられるイエス様ご自身のことを証する使命が与えられています。世の人々は私たちのうちに光であられるイエス様の姿を見ることができているでしょうか。イエス様はパウロを通して福音を聞いた人々が救われる姿をご覧になられ喜んでおられたはずです。イエス様は、あなたを通して、福音を聞き応答する人々が起こされることを期待しておられるのです。キリスト者の任務は、社会において公明正大に生き、主の救いの街業の素晴らしさを証し、すべての人が主をほめたたえる者となることです。
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キリスト者の希望

「わたしは世の終わりまで、
 いつもあなたがたとともにいます。」

                                     
                f:id:koumi2016:20160627201619j:plain マタイ28:20

 

キリスト者の希望>     使途25:1~27

 パウロは総督ペリクスの職務怠慢故に2年間、監禁生活を強いられます。パウロはその間、祈りつつ備えていたのです。そして、ついにパウロにチャンスが訪れました。それは総督の交代です。しかし、パウロにとってのチャンスは、パウロのいのちを狙うユダヤ人にとってもチャンスです。パウロよりも先にパウロのいのちを狙う人々が動き始めます。l~3参。パウロのいのちを狙うユダヤ人にとってパウロの存在は、監禁されているとはいえ脅威以外の何ものでもありません。なぜなら、パウロが再び、自由にされるならばユダヤ教にとって自分たちの立場が脅かされる状況になることは明らかだからです。ところが彼らの思い通りには事が進みません。新しい総督のフェストは、賢い人でありユダヤ人の口車に乗ることはなく、ユダヤ人のパウロ暗殺計画は無駄に終ります。4~5参。しかし、ユダヤ人たちはあきらめません。フェストの提案を受け入れ、彼らはカイザリヤまで約100キロの道のりを移動し、パウロを訴えます。6~7参。
パウロは 冷静に弁明し、自分の無実を主張します。8節参。フェストは、パウロの無実を知りながら、ユダヤ人の歓心を買うためにパウロエルサレムでの裁判を願うかと尋ねます。すると、フェストの思惑とは違う返答がパウロの口から発せられたのです。10~11参。フェストは、パウロの返答に戸惑いながらもパウロの上訴を退けることはできません。なぜなら、ローマ市民には裁判の判決に不服があった場合、カイザルに上訴できる権利が与えられていたからです。こうして、パウロは長年の願いであったローマ行きを囚人という立場でしたが獲得することができる道が開かれたのです。
 パウロはこれまで何度も先の見えない状況の中に置かれることがありました。無実の罪で鞭打たれ、投獄され、石打ちの刑を経験したこともあります。その他にも盗賊の難、海上の難など試練や迫害の中を歩んできました。パウロが希望を失うことがなかったのは、彼がいつも復活信仰に生きていたからです。パウロの死生観は、死んで終わりではなく、かの日に自分も必ずよみがえらされれるというものです。Iコリント15:1~22参。
 私たちの希望もパウロと同じです。ですから、私たちもどんなに今生かされている時代が先の見えない混沌として状況であっても希望を失う必要はありません。これまで通り、いつものように主日礼拝を中心にした生活を淡々と送り、日々、みことばに従って与えられた持場、立場で自分の役割を忠実に果たし、主が出会うことを赦してくださった人々に福音を宣べ伝えてまいりましょう。
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神が人に問われること

「あなたはわたしを見たから信じたのですか。
 見ないで信じる人は幸いです。」

                                     
                f:id:koumi2016:20160627201619j:plain ヨハネ20:29

 

<神が人に問われること>     使途23:12~24:27

 パウロを殺そうと誓う暗殺集団は、40名に増えていました。人間的に見るならばパウロは絶対絶命のピンチです。12~15参照。しかし、すべてをご支配されておられる神様は、パウロに約束したとおり、彼のいのちを守られます。16 ~18参。パウロの暗殺計画を知らされた千人隊長は、敏速に支持を与え、パウロをその日のうちに極秘に総督のもとに護送する手配を整えさせます。19~24参。千人隊長は、パウロを総督のもとに送るに当たり丁寧な手紙を用意します。25~30参。パウロは約100キロの道のりを馬に乗り安全を移動することになったのです。そして、総督の前における裁判がはじまります。24:1~21 参。総督ペリクスは、実に悪賢い策略家でパウロが無実であることを知っていな がらユダヤ人のご機嫌をとるためにわざと裁判を延期し続けたのです。正義を行 う立場に置かれた総督でありながら、彼はその職務に対し不誠実な態度をとり自 分の利益だけを考えて行動したことが分かります。
 パウロは、総督から何度も呼 び出され、為政者に直接、福音を語る機会が与えられます。24~27参。闇の中で罪を犯し続けている人間が一番恐れるものそれは光です。自分の罪を明らかにする光を罪人は恐れます。ペリクスは、罪を悔い改めるチャンスが何度も与えられながらそのチャンスを活かすことができずに時間だけが過ぎ去ります。
 私たちもぺリクスと同じです。なぜなら、私たちも、頑なに福音を拒んできた者たちだからです。はじめて教会に行ってから信仰告白に至るまで長い間、私たちは、イエス様との関係を傍観者の立場に留まることを自分の意志で選択してきました。天の父なる神様の人間に対する愛は、十字架のキリストに完全に現わされています。愛するひとり子を犠牲にしてまで人間の罪を赦し、人間が神様との交わりを回復できる道を備えてくださっているのにそれをいただこうとしないのは人間の責任です。
 神様は、すでに罪を犯す人間に対する怒りを宥められています。 なぜなら、人間の犯す罪の罰は、すでにイエス様が十字架に架かることにより受けてくださったからです。ですから、もう裁きを恐れて逃げ隠れしなくてよいのです。イエス様の十字架の下にひざをかがめ、イエス様が成してくださった御業をただ感謝して受け取るだけでいいのです。あなたはすでに天の父なる神様から受け入れられています。みことばの約束を信じ、大胆に御座に近づきましょう。ヘブル4:15~16参。

主の御声を聞いたならその時、心を開き、主を心の王座にお迎えましょう。それがあなたに神様が問われることなのです。