小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

教会の祈り

「わたしが、あなたとともにいる。
 これが、あなたのためのしるしである。
 このわたしがあなたを遣わすのだ。」
              

                                                       f:id:koumi2016:20160627201619j:plain 出エジプト3:12

 

<教会の祈り>      エペソ1:15~19

 エペソ人への手紙は、教会とは何かを私たちに教えている大切な書簡です。教会をギリシャ語でエクレーシアといいます。その意味は召し出された者です。では、教会が何を祈るかについてパウロの執り成しの祈りから学びます。
 キリスト者にとって一番必要なことは神をさらによく知ることです。17節参照。

その理由は、福音を聞いて受け入れた人々が霊的に成長するために必要なことが神をさらによく知ることだからです。福音を受け入れた後、その人の霊が成長するかしないかはどれだけ神をよく知ったかによってかわるからです。さらに、パウロが神を知るために必要な事として挙げたのが知恵と啓示の御霊を神からいただくことです。これも大切です。なぜなら、私たちは、自力で聖書に書かれてあることを理解できるわけではなく、御霊が私たちにみことばを理解できる力を与えてくださることによると聖書が言っているからです。Ⅰコリント2:11参照。同時に、心の目がはっきり見えるように祈ることも必要です。心は、単に感情の座を意味するだけでなく、知性と意志を含んだ全人格の座です。神が私たちの知性と感情と意志に働いてくださる時だけ、本当の意味でみことばが正しく理解できるようになり、素直に受け入れることが可能となります。

ですから、心の目が開かれるように絶えず祈り求める必要があるのです。
では、執り成しの祈りの内容に目を向けましょう。18~19参照。
内容は以下の3つです 。
1つ目、神の召しによって与えられる望みを知ること。
2つ目、聖徒の受け継ぐものが どのように栄光に富んだものかを知ること。
3つ目、神の全能の力の働きによって、私たち信じる者に働く神のすぐれた力
    がどのように偉大なものであるかを知ること。
1と2は 、過去と未来に関するものであり、3は、現在に深く関わる祈りです。
私たちは、神の全能の力の働きを日々、体験しているでしょうか。パウロはもうこれ以上宣教できないと諦めの境地に立たされることが度々ありました。しかし、その度にパウロは、神の全能の力の働きを体験し、立ち上がることができたのです。

使徒13:50.14:19.16:22~25.17:5、13.18:9~10参照。)

その体験は、パウロだけに限定されたものではありません。私たちも、祈り求めるならば 、パウロのように試練の中でも、賛美し、感謝し、執り成し祈ることのできる力を神からいただくことができるのです。
主によって召し出された群れ(教会)である私たちは、救いに選んでくださった神のことをさらによく知ることができるように、聖霊に心の目をはっきり見えるようにしてくださいと祈り求めてまいりましょう。

 

神の栄光がほめたたえられる理由

「主はすべてのわざわいからあなたを守り
 あなたはのたましいを守られる。」

                                                       f:id:koumi2016:20160627201619j:plain 詩篇121:7

 

<神の栄光がほめたたえられる理由>      エペソ1:13~14

 人はどのようにして、神がご計画なさった救いを受け入れることができるのでしょうか。それは、真理のみことばをきき、その福音を信じることです。例外はありません。ユダヤ人であっても、異邦人であっても、区別なく、どちらも同じみことばにより、救いに与ることができるのです。
そして、パウロは、キリストを主と告白した者は、約束の聖霊によって、証印を押されていると教えています。この「証印を押す」という言葉には、封印をしてしまっておくという意味があります。
当時何かを人に送ろうとした場合、送り主から送り先に間違いなく届けられるために、贈り物の包みに封印が施されました。そうすることにより、贈り物を運んだ人が、その包みの中の物に手で触れた場合、そのことがすぐに分かります。
ですから、この証印を押されたという言葉は誰もその運ばれるものを損なうことができないように保護することを現しています。
 この言葉の意味から、私たちの救いの確かさは私たちが何かしたからということではなく、救ってくださった神様の側に救いの確かさがあることを知ることができるのです。神は御子の血によって贖われた私たちに聖霊を与えてくださり、誰も救われた者に触れることができないように保護してくださっています。これは実にありがたいことであり、これほど安心できることは他にありません。神が救われた者を誰も神から奪い返すことはできません。私たちはいつも自分の救いの確かさの根拠を神の側おくことができる幸いを覚えたいと思います。
 さらに、パウロはこの「聖霊」がキリスト者である私たちの御国を受け継ぐことの保証であると教えています。14節参照。この「保証」という言葉は売買の際に、契約履行の保証として、いくらか支払っておく「手付け金」という意味があります。ですから、私たちが福音を信じた時、手付け金として「聖霊」を与えられたことにより、後の日に約束された御国を手渡される「保証」も同時に手に入れたのだとパウロは教えているのです。
 神の人類をお救いになられるというご計画は綿密に計画された事であり、その計画の実行も神の御子による完全なものであり、さらに、神がお救いになった者の救いを聖霊なる神が保証してくださるというのですからこれほど確かな救いは他にありません。ですから、私たちがなすべきことは、私たちを救ってくださった神の御業をほめたたえ、全身全霊で神を礼拝することです。

 

御国を受け継ぐ私たち

「みことばを行う人になりなさい。
 自分を欺いて、ただ聞くだけの者と
 なってはいけません」」

                                                       f:id:koumi2016:20160627201619j:plain ヤコブ1:22

 

<御国を受け継ぐ私たち>      エペソ1:11~12

 パウロは、これまで過去においてキリスト者が神からいただいてきた恵みについて賛美してきました。人間の救いが神の選びのうちに世界の基の置かれる前から決まっていたこと、神の予定は必ずそのとおりになること、そして、人類は罪か贖われた者であることを確認してまいりました。さらにパウロは、キリスト者が、将来、受けることになる御国について神をほめたたえずにはいられなかったのです。
 しかし、私たちは、どうでしょうか。将来のことよりも、地上で栄えることに目が向けられているということはないでしょうか。私たちは、もう一度、御国を将来受け継ぐことになる御国の相続者たちであることに心を向ける者になりたいと思います。なぜなら、私たらは将来世界や御使いさえもさばく者になるからです。Iコリント6:2~3参照。
 私たちは、霊的に成長し大人になっているでしょうか。霊的に成長するためには、信仰ゆえの苦難を避けて通ることはできません。なぜなら、御子が復活の栄光を前に十字架の苦難の道を歩まれたお方だからです。ピリピ1:27~29参照。
どうして、私たちに苦難が必要なのでしょうか。それは、私たちが霊的に成長するためです。ピリピ3:8~21参照。私たちは、イエス様を主として信じ、自分の心の玉座にお迎えした時から天に国籍を持つ者としての歩みがはじまりました。しかし、現時点で救いが完成したわけではなく、その完成はキリストが再び地上に来られる時まで待たなければなりません。私たちは、単に天国に入ることが目的で救われるわけではなく、地上において天国人として生きることにより、私たちを救ってくださった神に栄光を帰す者になるために存在していることを忘れてはならないのです。
 パウロは、エペソ人への手紙の頌栄(1~13)の中で何度も神をほめたたえています。エペソ1:3、6、12、14参照。この神をほめたたえることは、すべての人間が本来なすべき一番の務めなのです。私たちは神から期待されています。まことの神を畏れ、神の子として、御国の民として地上において神を愛することを実践する者になることを期待されているのです。
そして、私たちが救われた目的の一つであるキリストに似た者になるには、みことばに従って生きた体験が必要です。御子から愛された者として、御子が愛される者を私たちも愛することにより、天の父なる神様に栄光が帰されるように生きることを選択してまいりましょう。