小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

聞く人に恵みを与える人になる

「わたしに従いなさい。

              

                                                 f:id:koumi2016:20160627201619j:普通 ヨハネ 21:19

 

<聞く人に恵みを与える人になる>    エペソ4:29~30

   教会が力強く宣教する群れとなるには、みことばの教理的な面の学びと共に学んだことを実践することが必要です。そして、宣教は一人一人がバラバラにするよりも、一致して力を合わせることによりさらに大きな力を生み出すものです。ですから、逆に一致ができないと宣教の働きも滞ることになり、教会自体も元気を失うことになりかねません。
 パウロが一致を妨げるものとして挙げた事は悪いことばです。「悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。」どうして、パウロはこれほど厳しく悪いことばを発することを戒めたのでしょうか。それは、私たちの口にする悪いことば一つで長きにわたり築き上げられてきた信頼関係が簡単に崩れてしまうからです。悪いことばとは、噂話や悪口や中傷です。救いに与った者には、悪いことばではなく、必要な時に、人の成長に役立つことばを語り、聞く人に恵みを与えることが期待されています。そして、何より覚えたいことは、悪いことばを発すると私たちのうちに住んでおられる聖霊様を悲しませることになるという事実です。天の父なる神様は、聖霊様を通してみことばを正しく理解できるようにしてくださり、私たちをみことばに従って生きることができる者にしてくださるお方です。
 では、どうして私たちの生活がなかなかみこころに沿ったものにならないのでしょうか。それは私たちが聖霊様を悲しませる悪いことばを口にしているからです。私たちが噂話や悪口や中傷をやめない限り、聖霊様は本来の力を発揮することができません。ですから、私たちがなすべきことは、まず、自分の心の王座を聖霊様に明け渡すことです。心の王座を明け渡すとは、身も心も魂も主にお捧げすることです。ローマ12:1~2参照。
私たちがへりくだる者とされ、自分の義ではなく、恵みによりあわれみのゆえにイエス様の十字架の血によって罪を贖われ義と認められたことを素直に認め、神様が用意してくださった救いを心から感謝する時、私たちは聞く人に恵みを与える通り良き管と変えられます。私たちのうちに救いの御業をはじめてくださった神様が救いの完成まで責任をもって守り、導いてくださり、私たちをイエス様のご性質に似た者に変えてくださるのです。その保証としての聖霊様が私たちに与えられています。これほど心強いことはありません。
私たちが本気で祈り求めるならば、私たちのうちに住んでいてくださる聖霊様が私たちを助けてくださり、人の成長に役立つことばを語り、聞く人に恵みを与える存在と私たちを変えてくださるのです。

  

神の子の声を聞く

「主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに 死に渡され、
 私が義を認められるために、 よみがえられました。

              

                                                 f:id:koumi2016:20160627201619j:普通 ローマ 4:25

 

<神の子の声を聞く>    ヨハネ5:19~25

  イエス様は、十字架に架かられる前に大切なことを弟子たちに教えられたのです。その一つが神の子の声を聞くことです。私たちは、毎週、共に礼拝をささげ、共に神の子の声を聞いています。神様によって立てられた牧師の口を通して、説教をとおして、私たちは神の子の声を聞いているのです。
エス様は言われました。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。そして、聞く者は生きるのです。」
この死人とは、誰を指しているのでしょうか。霊的に死んだ状態にある人間を意味しています。霊的には死んだ状態とは、目に見ることのできない神様との霊的な交わりがない状態です。しかし、私たちは福音を聴き、信仰が与えられ、天の父なる神様が罪人である自分をそのまま愛し、愛するひとり子であられるイエス様を罪の贖いのために犠牲として捧げてくださったことを信じる者とされています。さらに、神様は、イエス様を神の御子であると信じる者の罪を赦してくださり、神の子すなわち養子としての身分を与えてくださったのです。
ここに私たちとイエス様と違いがあります。イエス様は、養子ではなく実子である点です。私たちはその神の独り子であられる御子の声に耳を傾けることが求められています。25節参照。
 イエス様の声に聞くとは、単に聞いて終わりではなく、心から聞き従うことが求められるのです。本当にイエス様の声に聞き従うならばその人は生きると約束されています。私たちは、イエス様の声に本当に聞き従っているでしょうか。心のどこかに「自分のしたいようにやりたいように生きたい」という自我が残っていることはないでしょうか。自分のしたいことを実現させるためにイエス様を利用しようとしていることはないでしょうか。弟子たちも復活されたイエス様と出会い、聖霊をいただくまで自分の利益しか考えない者たちでした。しかし、彼らは変えられたのです。私たちも同じ聖霊によって変えられます。そして、使徒たちが守られたちように。これまでもイエスが私たちの手を握っていてくださったようにこれからもイエス様は私たちの手をしっかり握っていてくださり、天国まで確実に連れていってくださるのです。ローマ8:31~39参照。
 私たち人間には絶対不可能な死の力を打ち破り、よみがえられたイエス様に救いの確かさの根拠を置いて地上におけるすべての営みをイエス様にお委ねする決断を今、いたしましょう。

  

受けるより与える者となる

「父よ、彼らをお赦しください。
 彼らは、自分が何をしているのかが
   分かっていないのです。

              

                                                 f:id:koumi2016:20160627201619j:普通 ルカ 23:34

 

<受けるより与える者となる>    エペソ4:28

  個人主義が尊ばれ、人より得をすること、いかに楽をして儲けるかという事ばかりに関心をもち、不当なやり方で収益を得て、貪りの罪を犯し続けている現代。私たちも気づかないうちにその影響を受けているのではないでしょうか。
 エペソの教会には盗みをしていた兄弟姉妹たちがいたのです。なぜ、彼らは窃盗を働いたのでしょうか。異教世界においてキリスト者になるということは、あるいみ仕事を失うことも覚悟しなければならない厳しい状況がありました。新しく仕事に就くことは、簡単なことではありません。でも、窃盗を働きこともできません。なぜなら、救いに与った者は、すべてを知っておられ正しく裁かれる神様を信じる者になったからです。ですから、パウロは盗みをやめ、正しい仕事をして与えられた正当な賃金の中から困っている人に分け与える者になるようにとエペソの教会の兄弟姉妹たちに勧めたのです。
 私たちは、どうでしょうか。盗みの罪を犯してはいないでしょうか。それは、私たちの仕事に対する取組み方と関係があります。会社に勤めている方は、会社から何時から何時まで決められた仕事することで報酬として賃金を受け取ります。その決められた時間内に怠け心が働いて、仕事の手を抜くということはないでしょうか。これも雇い主から盗んでいることになります。逆も同じです。自分が経営者であり、人を雇用している場合、正当な賃金を払わないとしたらそれも盗みです。それは個人だけに限らす、日本全体にも言えることです。なぜなら、日本の企業の多くは、海外に工場を建て、現地の人々を安い賃金で働かせ、莫大な収益を得るという搾取の罪を犯しているからです。地の塩としての役割が求められる私たちは誠実に働き、与えられた報酬の中から困っている人々に分け与えることにより神様の愛の業に参与する者になることが期待されています。
 イエス様が私たちの一番の模範です。イエス様は与えられた賜物を惜しみなく分け与えられたお方です。また、イエス様は言われました。マタイ6:33参照。使徒16:31参照。神様の約束は、真実です。神様は、ご自分の命令を守る者に恵みを千代にまで施ししてくださるお方です。出エジプト20:6参照。
自分の代でこの祝福を途絶えさせてしまうことがないように自分に与えられた責任を果たし、言葉と行いにより、主から与えられた信仰を現し続け、受けるよりも与える者の幸いを証する者に変えられていきたいと願います。