小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

世に対するキリスト者の役割

「よい地に蒔かれるとは、みことばを聞いて、
 それを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、
 あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の
 実を結びます。」

                                     
                f:id:koumi2016:20160627201619j:plain マタイ13章23節

 

<世に対するキリスト者の役割>       使徒acts16 : 35~40

ピリピの町には、不正な裁判を公然と行う長官たちがいました。富と権力が集 中するところに堕落も伴います。それは歴史が証明している事実です。パウロは、無実の罪で捕らえられた時、自分がローマの市民権をもっていることを主張することにより不当な裁判を回避することができました。なぜなら、ローマの市民権をもっている者は、いろいろな意味で優遇される特権が与えられていたからです。
では、どうしてパウロは処罰される前に自分がローマ市民権をもっていることを明かさなかったのでしょうか。いろいろ想像できますが有力なものとして考えられることは、ローマ市民権を使って福音を伝えてもそれによって福音を受け入れる人々が現れたとしてもそれが純粋な動機でない場合があるからです。Ⅰコリント1:17参照。

では、釈放されると分かった時、どうして自分がローマ市民権をもっていることを主張したのでしょうか。パウロは、ピリピの町の為政者たちが不正を行っていることを見過ごすことができなかったのです。なぜなら、神様は正義を愛されるお方だからです。さらに、不正を見逃さずに大胆に長官たちと対時する姿を看守に見せるためでもありました。救いに与ったばかりの看守にパウロは、キリスト者の生き方の模範を示そうとしたのです。キリスト者は、世の権力者に迎合してはなりません。なぜなら、キリスト者はすべてをご支配されているまことの神様を信じる者だからです。生きている者だけでなく、死んだ者も裁かれる神様を恐れる者は、目に見える人間をもはや恐れる必要はありません。
正義を行われる神様を本気で畏れ、地上でも正義と公義が行われるように祈る責任がキリスト者に与えられています。イエス様も、言われました。「あなたがたは地の塩です。」キリスト者は、地の塩の役割を果たす責任が与えられています。私たちには、世の腐敗を止める塩の役割があることをもう一度覚えたいと思います。もし私たちが不正に対し、無関心になっているならぱとても危険な状態にあるしるしです。罪の認識が薄れることを警戒し、いつもみことばの光によって自分の罪を照らしていただき、その罪を心から悔い改めることができるように祈り続けましょう。そして、まことの神様を畏れる者にふさわしい態度を表明し、正義が天で行われているように地上でも行われるように祈り続ける者でありたいと願います。

救われるために必要なこと

「あなたのみことばは、私の足のともしび、

 私の道の光です。」
                                     
                f:id:koumi2016:20160627201619j:plain 詩篇119章105節

 

<救われるために必要なこと>       使途 16:19~34

占いの霊に憑かれた女奴隷の妨害からやっと解放されたパウロたちでしたがさらに大きな試練が彼らの前に立ちふさがります。なぜなら、無実の罪で訴えられ、むち打たれ、投獄されることになるからです。パウロたちは、考えたことでしょう。どうして、神様はピリピの町に自分たちを導いておきながらサタンの妨害に会うことをお許しになられるのだろうか。今、自分たちが受けている試練の意味と目的を教えてくださいと彼らは主に祈ったことでしょう。主よ。なぜ、このような妨害が起こるのを許されるのですか。神様は、彼らに即答されることなく、しばしの沈黙をもって答えられます。
私たちも、パウロたちと同じような経験をしてきたのではないでしょうか。神様を信じたのにどうして次から次へと試練が与えられるのだろうか。こんなことなら、信じなかった方が良かったと思うことも正直あるでしょう。しかし、ずっと先まで見通される神様です。きっとすべての事には意味と目的があることを信じましょう。
パウロたちは牢獄の中で今、受けている苦しみが神様のご計画の中にあり、この後どのような御業がなされるのだろうかという期待に変わります。なぜなら、パウロたちは不平や不満が口からこぼれても仕方のない状況下で主に向かって賛美しているからです。
牢の中で賛美するパウロたちに神様は、御腕を動かされ彼らの賛美に応えられるかのように大地震を起こされたのです。(25~26参照。)
地震により獄舎の土台が揺れ動き、牢の扉が開き、囚人たちを繋いでいた鎖も解けてしまいます。 看守は、囚人が逃げ出したと考え、責任をとって自害することを決断します。しかし、パウロは大声で言います。「自害してはいけない。私たちはみなここにいる。」看守は、震えながらパウロたちに尋ねます。「先生がた。救われるためには何をしなければなりませんか。」パウロたちは「主イエスを信じなさい」と彼に答えます。これが人間に与えられた救われるために必要な条件です。
救いとは、 キリスト教の教理をすべて理解することによってもたらされるものではありません。律法を守ることによって得られるものでもありません。ただイエス様を信じてイエス様の手にすがりつくならば誰でも救っていただけるのです。それは、人間を救うのは100パーセントイエス様の力であり、人間の力は一切必要ないことを意味しています。この素晴らしい救いの良き知らせを伝えてまいりましょう。

祈り (鈴木聖仕 牧師)

「これらのことが書かれたのは、
 イエスが神の子キリストであることを、
 あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、
 イエスの御名によって、いのちを得るためである。」
                               
                               
                f:id:koumi2016:20160627201619j:plain ヨハネ20章31節

 

<祈り>       マルコmark 1:35

1.日常の祈り
エス様の祈り。それは日常の祈りです。そして、イエス様がどんなに忙しい中であっても祈りの時間を、神様との時間を聖別しておられたということ。時には朝早く暗いうちに起きて、時には、群衆に別れを告げ山で。


2.誘惑に陥らないように祈る    ル力 22:40
これは、ゲッセマネの祈りです。イエス様は弟子たちに誘惑に陥らないように祈っていなさいとおっしゃられました。ここでは弟子たちはイエス様が祈っているときに眠ってしまうのです。誘惑に陥るとはサタンの策略にハマることです。祝福のあるところにサタンは巧妙に入ってきます。疲れているときに、隙のあるときに攻撃を仕掛けてきます。そんなときには特に祈ることが重要です。自分の思いや自分の力により頼まないために、サタンの付け入る隙を与えないために神様との会話が私たちにはどうしても必要です。神様との会話をしているだけで、サタンは攻撃をやめてしまいます。イエス様が近くにいるときにサタンは何もすることができないからです。


3.他の人のために祈ること    マタイ5:44  エペソ6:18 
自分の敵を愛し、迫害するもののために祈るようにすすめています。いや 命令しています。学校の、職場の、家族のあの人のために祈るように。どんな時も私たちは生きておられる主に祈りをささげる。祈りも自分の力でしない。御霊によって祈る。聖霊の力に頼って祈る。でも時に祈れないことがあります。そんな時は、誰かに祈ってもらうことです。自分で祈る祈りと誰かに祈ってもらう祈りこれは同じ神様が働いてくださる祈りです。他の人のために祈る、祈れない時には祈ってもらうこと、これはとても大切です。