小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

神に生かされて周りを生かす 廣瀬薫 師

「信仰によって、アブラハムは、
 相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、
 これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。」

                                     
                f:id:koumi2016:20160627201619j:plain へブル11章8節

 

<神に生かされて周りを生かす>     ルカの福音書19章1~10節

●質問1:何故ザアカイは、この乗り物を選んだのでしょうか。

彼なりに人生の困難を生き抜こうとしたのです。私たちにとっても、乗り物は用意したが、幸せな目的地に着かなかったという経験は身近です。

●質問2:その乗り物はザアカイをどこに連れて行ったのでしょうか。 

彼が何を失っていたものが3つあります。
①人間関係。誰にも愛されない孤独。ザアカイの家庭は壊れていたでしょう。
②自分との関係。自分を愛せない劣等感。
③神様との関係。神様からの命の養いを受けていない無力感。
この3つの関係は、人間が幸いに生きるためには、必ず3つとも満たされていなければなりません。 

●質問3:人間を本来の姿に活かす力はどこにあるのでしょうか。

彼は3つの関係を回復します。誰も呼ばない名前を呼ばれて人格的関係を持つ温かさ。家に泊まる事は一つになる程親密な受容です。「アブラハムの子」と呼ばれ、救うだけでなく、神様の祝福の源として活かされ用いられる喜びを得ます。

●質問4:この後ザアカイは、どのように生きて行ったのでしょうか。

彼は「本物の取税人」「本物の金儲け」をする者として生きて行ったでしょう。クリスチャンになると、今までの事に神様の命が入って本来の姿に活かされるのです。
初代教会の急速な成長の要因はこれです。TCUが目指すのもこれです。あらゆる分野に、聖書のキリスト教世界観に立って「神の国」を造る人材がいるのが、リバイバルへの道です。

●質問5:では、私たちはどのように生きて行くのでしょうか。

同じ事が私たちにも与えられています。神様は私たちの名を呼んで愛します。
聖霊の内住」が与えられています。
私たちは「アブラハムの子」です。(ガラテヤ書)
自分が救われて喜ぶだけでなく、回りに神様の祝福を広げる人生に活かされる大きな喜びがあります。皆さんは祝福を周りに広げる尊い拠点なのです。

 

主の輝くお姿

「よくやった。良い忠実なしもべだ。
 あなたは、わずかな物に忠実だったから、
 私はあなたにたくさんの物を任せよう。」

                                     
                f:id:koumi2016:20160627201619j:plain マタイ25章21節

 

<主の輝くお姿>       ヨハネの黙示録 1:9~19

(1) ヨハネが見た人の子のような方 (9~13節)
  ~ちょっと不思議な光景。 ヨハネが聞いた大きな声。そして振り向くと「人の子」のような方。 
 (17~19)には、わたしは、復活した。こうして見ると、
このお方はイエス・キリスト
(2)主の輝くお姿 (13~16)。 
 ~そしてその方が、こんなお姿であった
  ① (13節)「足まで垂れた長い衣」。この長い着物、威厳のあるりっぱなお方。 そして「胸に金の帯」。これは、聖書に出てくる大祭司よりもはるかに優る金の帯。
  ② (14節)「頭と髪の毛は、羊毛のように、また雪のように白かった」。

これは、イエス様は、全きお方、罪のない真白なきよいお方であった。そして「その目は、燃える炎のようであった」。これは、燃える炎のような目。するどく罪を見抜き、正しきを見抜く。その強い決意を表わしている。 
 ③ (15節)「その足は、炉で精錬されて、光り輝くしんちゅうのようであった」。

これは、りっぱな足。すべてを支配し、その足元にすべてを治める。そして
「その声は大水の音のよう」。権威のある、威厳のある、大きな声を発していた。 

④ (16節)「右手に7つの星を待っていた」。この7つの星は、教会。「口からは鋭い両刃の剣が出ていた」。両刃の剣は、神のするどいみことば、それがその口からは出ていた。「顔は強く輝く太陽のよう。」栄光で輝くお方であった。それがこの時見られた、イエス様のお姿。輝くお姿。
(3)復活の恵み (1 7~1 9)。
  ~復活。それは人が全く無カとなる。「それでも」その先もある。決して無ではない。人生に3つの坂。 上り坂、下り坂、「まさか」。「まさか」は、災害、事故、事件、病気、人との関係、自死など。なぜそうしたことがあるのか。(出エジプト4: 11)。それが、死んでも、それだけでは終わらない。たとえ死んでももう1度復活する。復活。 
(まとめ) 
 そのお方が言われること。それを私たちはしっかりと受け留めて、それでも生 きる者でありたい。

 

宣教の情熱

「自分の宝を天にたくわえなさい。」

                                     
                f:id:koumi2016:20160627201619j:plain マタイ6章20節

 

<神宣教の情熱>       使徒acts 17:16~34

パウロは、偶像に心を支配されているアテネの町の人々をなんとかして救いたいと宣教の情熱に満たされ、伝道を開始します。いつもならぱユダヤ人の会堂で福音を語るところ、パウロは毎日広場に足を運び、そこで出会う人々に手あたり次第声をかけ、福音を伝えることを実行したのです。論争好きのアテネの人々は、パウロの話す教えに耳を傾け、パウロをアレオパゴスに連れて行きます。パウロは、そこで福音を語るチャンスを得るのです。22節から31 節参照。
パウロは全宇宙を無から創造されたお方が人間の造った神殿などに住むお方ではないことを人々に教えます。さらに、創造主であられる神様は、人に仕えられる必要のないお方であることを教えたのです。神様は、人間の小さな頭で理解できるような存在ではなく、人間を遥かに超えた唯一絶対者であられることを彼らに語ります。
しかし、パウロの教えも罪の為に霊の目が閉ざされていたアテネの町の人々には受け入れられません。福音を聴いても、関心を示さない。罪を悔い改めようとしない。これは実に危険なことなのです。イエス様を拒んだ人々がどうなったか思い出してみてください。イエス様を拒むことはすなわち滅びを意味しています。
人間は、福音を拒み続けています。私たちは、それでも福音を語り続けるのです。相手が福音を拒絶することが分かっていても、福音の内容を変えてはいけません。パウロは、イエス様の十字架の死と復活の事実を変えることなく大胆に宣べ伝えます。I
コリント1:16参照。

この福音の真理を変えて人々に伝えることは許されません。神の御子が人間の代わりに十字架にかかり罪の罰を受けてくださったという驚くべき福音の内密は滅びに至る人々にとっては信じることのできない事柄となります。なぜなら、アテネの町の人々は神と呼ぶことができる存在がおられるならばそのお方は、人間に対し無関心であり、人間から遠く離れた存在だと考えていたからです。しかし、聖書が教える神様は、遠くから人間の営みを眺めているようなお方ではありません。自分から犠牲を払い、人聞と同じようにいや誰よりもへりくだられ、神にのろわれた者となって十字架に架かってくださるほどに人間を愛されたお方なのです。ヨハネ3:16参照。
私たちも父なる神様の情熱に心燃やされ、滅びに向かって歩んでいる人々に福音を大胆にお伝えする者になりたいと願います。神様からいのちがけの愛を頂いた者として、神様から預けられた時間を使い、滅び行く人々に福音を知らせましょう。