小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

祈りの大切さ

「だれでもキリストのうちにあるなら、
 その人は新しく造られた者です。
 古いものは過ぎ去って、
 見よ、すべてが新しくなりました。」
                

                                                 f:id:koumi2016:20160627201619j:普通  Ⅱコリ5:17

 

<祈りの大切さ>    エペソ6:18~20

 パウロは、サタンとの戦いに神から与えられる防具を身に着け、神から与えられたみことばの剣でサタンの誘惑を退けるようにと勧めてきました。サタンとの戦いに勝利し続けるには、絶えず、サタンとの戦いに勝つだけの力を上から供給し続けていただかなければなりません。
祈りは、その力を神からいただくために無くてはならないものです。救いに与り、御霊様を与えられることにより、私たちも少しずつ聖書に書かれた真理が御霊様の助けにより分かるように変えられています。それは祈りも同じです。御霊様の助けをいただいて祈る時、祈りの内容が変化します。自分中心の祈りから神中心の祈りに変わるのです。 神中心の祈りとは、神様の視点で物事を見ることができるようになるということです。まず、目の前の問題が解決されることを必死に祈ることをやめ、自分の直面している問題を通して、神様は自分に何を教えようとなさっているのか。思い巡らすとき、祈りの内容も変化していきます。
自分の置かれている状況が変わることを求める祈りから、自分が変えられることをせつに祈り求めるように変わるのです。
 しかし、私たちの祈りが変わるとき、その変化に敏感に反応し働きかける者が現れます。それがサタンです。サタンは常に私たちを祈れない状態に置き、祈りから私たちの意識を遠ざけようと攻撃してきます。ある時は私たちの肉体を攻撃し、ある時は心を攻撃し、家族を攻撃し、私たちを祈れない状態にしようと誘惑します。それは、イエス様も受けられた攻撃です。十字架を前にし、イエス様がゲッセマネの園で祈られた時、弟子たちに「一緒に祈って欲しい」と祈りの支援を求められたことがありました。マタイ26:36~41参照。
エス様が弟子たちの祈りの支援を必要としたならば自分も祈りの支援が不可欠であることを覚え、主にある兄弟姉妹に祈りの要請をし、サタンとの戦いに備えましょう。私たちの戦いが見える世界の戦いでない以上、見えない世界の戦いにおいて必要不可欠な力を祈りを通して御霊様からいただいてサタンとの戦いに勝利し続ける者となれるように互いの霊的成長のためにも、とりなし祈る者に変えられたいと願います。
 

神の武具で戦いに備える

「散らされた人たちは、
 みことばの福音を伝えながら巡り歩いた。」
                

                                                 f:id:koumi2016:20160627201619j:普通  使徒8:4

 

<神の武具で戦いに備える>    エペソ6:14~17

 神様は、サタンの誘惑に対して神の武具で身を固め、戦うために立ち上がることを求めておられるのです。では、戦いに備え、戦うために必要な備えについて確認してみましょう。
 戦うためにまず、必要なことは、帯を締めることです。その帯は真理です。
パウロの言う真理とは、福音の真理です。福音の真理とは、「信仰によって人は義とされる」という内容です。また、正義の胸当てをつけるようにとパウロは勧めます。この正義も人間のうちにもともとある正義ではありません。キリストが与えてくださる義です。ローマ3:21~26とローマ8:32~33参照。
さらに、平和の福音の備えを履くことを勧めます。サタンと戦うために、神との平和が確固不動であることは、重要です。神様が私たちの味方であるならば、サタンでさえも指一本私たちに触れることはできません。私たちは、イエス様のいのちがけの仲介によって、神と和解し、平安のうちに救われた喜びと感謝の思いをもち、イエス様の執り成しの祈りに支えられ、勇気と励ましと力をいただく時、平安のうちに福音を大胆に宣べ伝えることができるのです。サタンが放つ威力のある矢も、神様が与えてくださる信仰の大盾があれば私たちは完全に守られます。信仰は、神様に対する信頼と言い換えることができます。サタンは、私たちの神様に対する信頼を疑わせようと攻撃します。その時、私たちは十字架のイエス様を仰ぎ見るのです。愛するひとり子を犠牲にしてまで罪人である私たちを愛された天の父なる神様です。その神様の愛を信頼し、サタンの放つ疑いの矢を消し去り、天の父なる神様との信頼関係を深める努力を日々、積み重ねてまいりましょう。
 さらに、防具として救いの兜と武器として御霊の剣が与えられています。これだけの装備が与えられているのだから戦えませんとは言えません。また、私たちの戦いは、勝利の確定した戦いです。すでに私たちの先輩たちが戦い抜いて天に凱旋したところの前例のある確かな戦いです。私たちは、一人ではなく、共に戦う戦友が与えられています。同じ主にあって兄弟姉妹とされた主にある家族が与えられています。兄弟姉妹の祈りの支援を受け、何度でも立ち上がり、サタンとの戦いに勝利し続ける日々を一日でも長く続けることができるように絶えず祈り合う群れでありたいと願います。
 

 

勝利者として歩む為に

「一粒の麦は、
 地に落ちて死ななければ、一粒のままです。
 しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。」
                

                                                 f:id:koumi2016:20160627201619j:普通  ヨハネ12:24

 

<勝利者として歩む為に>    エペソ6:10~13

 キリスト者の生涯を一言で言い表すとしたら闘いの生涯であると言ってもよいでしょう。パウロの生涯やキリストの生涯を思い出してみてもそこには激しい戦いが繰り広げられていたことが分かります。パウロが自分の体験から悟った勝利の秘訣を教えています。
「終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。」
パウロは、宣教する先々で迫害され、いのちを狙われ、石打ちにあうこともありました。しかし、彼はその度に命を守られ、大能の力によって強められ宣教し続けます。では、どうして、迫害にあった時、人間の力だけでなく、大能の力(キリストを復活させた力)が必要なのでしょうか。それは、キリスト者が戦う相手が人間の力を超えた存在である為です。11節参照。私たちを迫害する相手は、目に見ることのできない霊的な存在です。この世で支配する一定の力を与えられ、暗闇の世界を支配しているサタンです。サタンは、私たちの目で見ることはできませんが私たちを日々攻撃し、罪を犯させ続けています。また、サタンが一番、恐れることは、キリスト者が天から力をいただいて宣教することです。ですから、サタンはあらゆる機会を捕らえ、私たちを誘惑してくるのです。ある時は、私たちの肉体を攻撃し、また、ある時は、私たちの家族を攻撃し、愛する人々を通して、私たちが宣教できないように働きます。
パウロも愛する兄弟姉妹たちから自分のいのちを大切にするようにと言われると心が揺れることもありました。なぜなら、誰でも苦しみよりも楽な道を歩みたいと願うものだからです。しかし、私たちは忘れてはいけません。それは、私たちの主であられるキリストが苦難を経験されたお方だという点です。
私たちは、苦難ぬきの栄光を求めるところがありますが、それは聖書が教える真理ではありません。キリストは、苦難を受けられ、サタンの誘惑に勝利された後、栄光の座に着かれました。キリストに従う者にも苦難が伴います。そして、苦難を経験して私たちは霊的に成長します。私たちが祈ることで天と繋がっているならば、サタンとの闘いに敗北することはありません。
 キリストがいつも天の父なる神様との交わりを大切にされ、天から大能の力をいただいてサタンとの闘いに勝利されたように、私たちも同じように主との交わりに与り、主が歩まれた苦難の道を勝利者の道を主と共に歩む者になろうではありませんか。