小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

たましいに安らぎを

「見よ、あなたの王があなたのところに来る。

 義なる者で、勝利を得、

 柔和な者で、ろばに乗って。」

 

                  f:id:koumi2016:20160627201619j:普通  ゼカリヤ9:9

                                  

<たましいに安らぎを>      マタイ11:28~30

 イエス様の御許に来て、そのみことばに聴き、天の父なる神様と、主イエス・キリストを知ることの中に、真の安らぎがあります。その安らぎは、この世の悩みや問題があったとしても揺れ動くことのない、罪の赦しからくるたましいの安らぎ、つまり、イエス様の十字架による救いと、その救いに導く恵みのみことばによって与えられる安らぎです。他の何かをすることによってではなく、ただ主と共に同じくびきを負っていること、聖霊に生かされている恵みに心を注いで、主の御前に静まることを何よりも大切にしていきましょう。イエス様のみことばを聴くことこそが、私たちにたましいの安らぎを与える、ただ一つの、変わることのない道だからです。

 私たちは、イエス様に招かれています。私たちがイエス様に出会えたことも偶然ではありません。天の父なる神様のご計画の中で、今、私たちはこの時代に生かされ、イエス様の招きの声を聴いているのです。
 「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。わたしの くびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
エス様は、あなたを招いておられます。イエス様の招きに従い、その愛と恵みにお応えしましょう。あなたのうちにあるどんな傷も痛みも、自分の力では到底解決できない問題や悩みも、包み隠さず、イエス様のもとに下ろしてください。イエス様が与えてくださる平安と希望の約束の中に飛び込んでください。そうすれば、そこに真の安らぎを見出すことができるのです。

 日常の多忙な手の業をやめ、時間を取り分けて共に礼拝をささげ、共にみことばに耳を傾けることは、キリスト者の一番の喜びであり、祝福の道です。 日々の生活の中でも、祈りとみことばに取り分ける時間を大切にしていきましょう。主のもとでたましいに安らぎを得て、心に平安を頂き、豊かな実を結ぶ者として、心の耕地を整える新たな一年をスタートさせて頂きたいと願います。

 

さばいてはいけません

「人の子は、

 失われた者を捜して救うために来たのです。」

 

                  f:id:koumi2016:20160627201619j:普通  ルカ19:10

                                  

<さばいてはいけません>      マタイ7:1~5

 イエス様は、私たちが互いにさばき合うことを戒め、否定的な意味のさばきについて、兄弟姉妹を「さばいてはいけません。」と言われました。イエス様は、最終的にはすべてをさばかれる天の父なる神様からさばかれることになると警告しておられるのです。

 私たちは、日ごろから自分の犯している罪は棚にあげ、人を簡単にさばいてしまっていることを認めずにはいられません。口に出すことがなかったとしても、心の中で、私たちは周りの人の言葉や態度をさばいてしまうことがあるからです。もし教会の中にさばき合いがあるとしたら、イエス様はどれほど心を痛められるでしょうか。私たちは、互いにさばき合うために主によって新しくされたのではありません。互いに愛し合うために、選ばれ、この世にイエス・キリストの愛を、天の父なる神様の愛を現していくために召された者たちです。この光栄ある使命を果たす者にふさわしく生きる者に変えられていこうではありませんか。

 イエス様は、私たちのためだけに十字架に架かられたのではなく、私たちが心の中でさばいている人のためにも血を流されたお方です。十字架こそ、赦すこと、愛することの希望です。
 心の中で互いにさばき合うことをやめ、互いに愛し受け入れ合い、励まし合い、キリストのからだである教会を共に建て上げるために仕え合う者とされていきたいと願います。イエス様の姿にならい、人を愛すること。赦すこと。私たちは、イエス様に愛されています。最後にコロサイ人への手紙3章12節のみことばを以下に記します。

「ですから、あなたがたは神に選ばれた者、聖なる者、愛されている者として、深い慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容を着なさい。互いに忍耐し合い、だれかがほかの人に不満を抱いたとしても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全です。キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのために、あなたがたも召されて一つのからだとなったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。」

 

すばらしい宝

「あなたの信仰があなたを救いました。」

 

                  f:id:koumi2016:20160627201619j:普通  マルコ10:52

                                  

<すばらしい宝>      マタイ13:44~46

 「あなたの宝は何ですか?」と聞かれたら、何を思い浮かべるでしょうか。家族や友達、思い出や経験、人との出会いや心に残る言葉、あるいは自分が持っている物の中で、高価な物、貴重な物などを挙げられるでしょうか。
 「宝」という漢字には、比喩的に「かけがえのない人」という意味があるそうです。「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」と言って下さる神様は、まさに私たち一人一人を「かけがえのない存在=宝」として見て下さり、私たちを救うために、ご自分の独り子イエス様のいのちをお与えになるほどに愛して下さっています。そのような私たちは、何を、誰を宝としたら良いのでしょうか。

 私たちは、自分にとって大切なものを宝とします。「プライスレス」という言葉がありますが、お金では買えない、値段がつけられないほど貴重でかけがえのないもの、その人にとって「言葉で表せないほど、最高に価値あるもの」というニュアンスで使われる言葉です。イエス様との出会いは、まさに「プライスレス」、私たち人間の価値観を根底から変えてしまうほど、価値あるものの中で最大の発見です。あなたも福音を通して、イエス様と出会い、イエス様を通して、神の愛を知るものとなり、十字架の愛を感謝して生きる時、これまでの価値観が、人生が変えられます。教会を通し、聖書を通して出会うことのできるイエス様だけが、本当の意味でたましいの飢え渇きを満たし、死に打ち勝ついのちと、永遠の祝福を与えてくださるのです。

 すでにイエス様と出会い、イエス様と共に歩んでおられる方も、日々、聖書を読み、天の御国の宝を発見していることでしょう。けれども、聖書には、私たちがまだ知らない宝が無限に隠されています。イエス様がどのようなお方であるのか、さらに深く知り、イエス様に愛されている者として、イエス様に従うことを心から願い、聖書に隠されてある真理を正しく知ることに、力と思いを注ぎたいと思います。私たちは、日々の生活の中でイエス様と出会うことができ、その素晴らしさを知り、喜ぶことができるのです。

 福音にはどんな犠牲を払っても、その真理を求める価値があります。イエス様と出会い、イエス様を信じて救われたところで満足し、留まってしまうことなく、霊的に成長し続け、どのような命令に対しても喜んで従って行けるキリスト者に変えられていきたいと願います。