小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

神の祝福を受け続けるために

「弟子たちの目の前でその御姿が変わった。
 顔は 太陽のように輝き、
 衣は光のように白くなった。

              

                                                 f:id:koumi2016:20160627201619j:普通 マタイ 17:2

 

<神の祝福を受け続けるために>    エペソ4:25

 教会が神の祝福を受け続けるために一番大切なことは何でしょうか。
それは一致を保ち続けることです。一人一人の力がたとえ小さくても、一致して祈り、一致をもって行動するなら大きな力となり福音宣教も前進します。では、一致を破壊するものは何でしょうか。それが偽りです。サタンは偽りを教会内に蔓延させようとその機会を伺っています。サタンの方法は、アダムたちを誘惑した時から変わっていません。アダムたちは、サタンの偽りの言葉に惑わされ、神のご命令に背くことを選択します。アダムたちが罪を犯すことにより、神と人間の間にあった信頼関係は破壊されたのです。
罪人である私たちは自力でみことばに従って生きることはできませんが私たちのうちに住んでおられる聖霊が私たちに力を与えてくださり、みことばに従って生きることができるように助けてくださいます。ですから、私たちはパウロの勧めに従い、偽りを捨て、真実を語ることができるのです。そして、パウロは真理を語る理由を教えています。「私たちは互いにからだの一部なのです。」教会は、キリストの体に譬えられます。体にはいろいろな器官がありますがその各器官は互いに真実を伝えることで調和しています。同じように、教会もキリストを頭としてキリストの指示のもとに各器官である私たちは、互いに真実を語り合うことで信頼関係が保たれ、一致して宣教の業に取り込むことができるのです。ですから、そこに偽りが入ると信頼関係が破壊され、不一致が生じ、協力して宣教の働きができません。それをサタンは知っているのです。教会が本当の意味で祝福されるためには教会が神の御前に誠実に忠実に真実に罪を悔い改めて歩んでいるか否かによって決まることを覚えたいと思います。
私たちはみな互いに弱さを持つ生身の人間です。サタンの誘惑に負け、偽りの罪を犯すこともあります。ですから、互いに執り成し合い、親身になって忠告してくれる兄弟姉妹の言葉を感謝し受け入れる者に造り変えてくださいと神に祈り求める者になりたいと願います。詩篇51:1~13参照。
素直な心は、みことばによって罪が示された時、その罪を悔い改め続けることにより造られます。そして、神は、罪を悔い改めた者同士の群れである教会を祝福してくださり、教会の一致を保ち、宣教の業を推し進める力を与えてくださいます。それが神の祝福を受け続けるために私たちが大切にすべきことです。

 

心と霊において新しくされ続ける

「だれでもわたしについて来たいと思うなら、 
 自分を捨て、自分の十字架を負って、
 わたしに従って来なさい。

              

                                                 f:id:koumi2016:20160627201619j:普通 マタイ 16:24

 

<心と霊において新しくされ続ける>    エペソ4:17~24

 この世界を創造されたお方が存在されることは、造り主の造られた被造物がある以上、誰の目にも明らかです。しかし、救われる以前、私たちは創造主に対し、崇めることも、感謝することもなく生きていました。
造られた者が造り主の意図に反して生きているならば、その造られた者としての目的を果たすことができずに空しさを覚えるのは当然です。しかし、キリスト者はイエス様と出会い、イエス様を主と告白し、罪を悔い改め、常に意識してイエス様ならばどうされるだろうかとイエス様に尋ねながら自分の言葉や態度を顧みる者になります。
 救われてキリスト者とされた人々にパウロは二つのことを勧めます。
一つ目は、人を欺くことをやめることです。
二つ目は、霊と心において新しくされ続けることです。
では私たちが新しくされたというのは、どういう点においてなのでしょうか。それが真理に基づく「義」と「聖」です。この義とは、キリスト者の人に対する正しい態度のことです。もう一つの聖とは、キリスト者の神に対する正しい態度のことです。人間はもともと人に対しても、神に対しても正しい態度で応答できる存在として造られました。しかし、人間が神様の命令に背くことを選択した結果、罪をもつ者となり人間に対しても、神に対しても正しい態度を示すことができなくなったのです。しかし、イエス様を信じることで失われていた義と聖を回復され、人と神に対しても正しい態度を選択できる者に変えられます。また、真理に基づく「聖」とは、宗教性と言い換えることができます。私たちは創造主に造られた被造物であり、造り主を礼拝するために存在している特別な被造物です。
救われる以前、私たちは、偽物の神々を拝み、仕え、奴隷となっていましたが救いに与ることにより、まことの神様を礼拝できるようになりました。私たちのうちに住んでおられる聖霊様は私たちが本気で望むならば、私たちがみことばに従って救われる以前の古い生活を捨てさせ、主の喜ばれる新しい生活を選択することができる者と変えてくださいます。そして、聖霊様が私たちをイエス様に似た者と造り変えてくださるのです。
自分の力ではなく、常に聖霊様の助けをいただいて共に励まし合い、心と霊において新しくされ続けることを祈り求めてまいりましょう。
 

 

牧師が立てられた理由と目的

「あなたは生ける神の子キリストです。

              

                                                 f:id:koumi2016:20160627201619j:普通 マタイ 16:16

 

<牧師が立てられた理由と目的>    エペソ4:11~13

 主の教会を共に建て上げるために必要なことは聖書の真理に堅く立つことです。コロサイ人への手紙に当時の様子を知る手がかりがあります。コロサイ2:8参照。このだましごとの哲学とは、のちのグノーシス主義です。グノーシス主義とは、特別な知識(グノーシス)を強調し、神及び救い主としてのキリストを否定する教えです。この教えの特徴は二元論です。特別な知識の所有者である霊的な人間は、無知な大衆とは全く区別された存在であり、至高者(神)と同一となった彼らは、二つの相反する道徳観をもちます。それは禁欲主義と放縦主義です。前者は、地上のものにけがされるのを避け、隠遁し、後者はこの世界の侵すことのできる領域は肉体と魂までであるとし、霊は世界の道徳律より上にあるので、何をしても許されるという考えです。しかし、聖書は肉体と魂と霊を分けて考えることはしません。
このような偽りの教えがこの手紙が書かれた時代、彼らの間に横行していました。そこで、パウロは聖書の真理に堅く立つように警告したのです。私たちも聖書の真理に反する教えには気をつけ自分自身も真理を語りみことばに従って生きることを選択する者でありたいと願います。また、身近な人が聖書の真理に反することをしているのを目撃した場合、愛をもって真理を語るようにとパウロは勧めています。単に真理を語るだけでなく、愛をもって真理を語るように勧めています。これはとても大切な事です。なぜなら、単に相手の間違いを指摘するだけでは相手に指摘した側の真意が十分に伝わらないからです。諭す相手が自分の教えることを素直に聞くためには、日頃からの関係も重要です。ですから、自分から声をかけ信頼関係を主にある兄弟姉妹との間に作ろうと心掛けることも必要でしょう。
また、教会の成長は、子どもの体の成長と重なります。幼い子どもはよく転びます。しかし、体が成長すると頭と胴体とのバランスがちょうど良くなり、めったに転ばなくなるものです。それと同じように私たちも、霊的に共に成長することにより、安定した教会生活が営まれるようになり、みことばの真理に従って生きることを通して、キリストのご性質に似た者に変えられます。


 神様が私たちを選び、今、この教会に召してくださり、この教会の中で霊的に成長することを期待しておられるのです。ですから、聖書の真理に堅く立ち、愛をもって真理を語り、主の教会を共に建て上げる群れになりたいと願います。</font>