小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

私にあるもの

「この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、

天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。」

                        f:id:koumi2016:20160627201619j:plain 使徒17章24節

<私にあるもの> 使徒3章1~10節       

誰でも、神様と共に生きる人と、そうでない人との違いに気づいているはずです。それが何か分からないけれど、自分にないものを持っている。私たちも救われるまでそれが何か分からなかった者たちです。しかし、今は分かります。それは、ペテロたちが持っていた信仰です。イエス様を救い主であると信じる信仰が私たちのうちにも今、与えられています。足のなえた人も、イエス様の御名によって救いに与り、神様を讃美する者と変えられました。これは、人間のなせる業ではありません。単に足が癒されたことに人々の目は向けられていました。しかし、重要な点は、彼の足が癒されたことではなく、彼が神様を賛美する者と変えられたことです。私たちも、イエス様を救い主であると信じることにより、霊的に新しく造り変えられています。以前は、神様を讃美することはありませんでした。目に見えるものがすべてであり、欲望の奴隷となり、金銭を愛する者でした。自己実現のためならば手段も選ばない者、自分さえよければ、周りの人が苦しんでいようがなんとも思わない者、どこまでも自己中心な者であり、孤独のうちに歩んできた者たちです。しかし、今、私たちは孤独ではありません。この世的に見れば、決して裕福ではないかも知れません。地位や、名誉や、財もない者かも知れません。でも、それでも心は満たされているのです。日々、生かされていることに対する感謝があり、喜びもあります。目に見えない神様に対する賛美があります。これは実に恵まれたことなのです。

どんなに状況が変化しても、私たちのうちにある神様に対する信頼を奪うことのできるものは何もありません。なぜなら、私たちの信頼しているお方は、全知、全能の神様でありながら、どこまでも低くなられたお方であり、忍耐とあわれみに富まれるお方であるからです。私たちのためにすべてのものを捨てて一番小さな者となってくださったからこそ、小さい者の気持ちを理解できるお方です。この世においては小さな者は虐げられています。しかし、悲しみはやがて必ず喜びに変えられるのです。イエス様との出会い。それこそ、小さきものに与えられる最大の恵みです。私たちが自力でイエス様のもとに行くのではありません。イエス様の方から私たちのところに来てくださるのです。

 身分や業績によらずに、だれでもいただけるもの、それが福音です。心の貧しい者ならばだれでもいただけるもの、それが信仰です。

その素晴らしい知らせをまだ、福音を聴いたことのない人々に伝えるために立ち上がる者になりたいと願います。私たちが主に信頼するならば、立ち上がることができるのです。「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」