小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

神の子として祈る

「ただ主を恐れ、

 心を尽くして、誠実に主に仕えなさい。」

 

                  f:id:koumi2016:20160627201619j:普通Ⅰサムエル12:24

                                  

<神の子として祈る>             マタイ6:5~8

 私たちにとって「祈り」とは何でしょうか。一般的に、多くの人にとって、「祈り」は「祈願」という言葉にも表されるように、自分の思いや願いを込めること、あるいは、願いそのものを指しているのではないかと思います。クリスチャンにとって、「祈り」は「霊の呼吸である」と言われ、「神様との対話」と言われるように、まず神様のみことばを聞いて、それに基づいて祈ることが肝心であり、単に自分の願いを連ねるだけでなく、主への賛美、感謝、執り成し、悔い改めなどを通して、父なる神様との人格的な交わりを持つという、信仰生活の基本であり、中心をなすものです。神様は、祈る前から私たちの願いを知っておられ、私たちが求めなくても、私たちを天からの恵みで満たしてくださるお方です。だからと言って、わたしたちが祈らなくても良いということにはなりません。私たちが神様のみこころと一つとされ、神様が与えて下さる恵みを感謝して受け取るために、祈りはなくてはならないのです。

 「わが父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしが望むようにではなく、あなたが望まれるままに、なさってください。」私たちは、このイエス様の祈りを心に留め、祈る者になりたいと願います。イエス様は、十字架の前に悩み苦しむ思いを正直に打ち明け、その上ですべての主権者である父なる神様に祈りの答えをゆだねました。私たち人間の限りある思いを超えたところで働いて下さる父なる神様は、全能で、豊かな恵みをもって私たちに答えて下さるお方です。祈りの答えは、神様の主権のうちにあることをいつも覚え、すべてを委ねて、ただ、「自分の願いではなく、みこころの通りに」と祈る時、時にかなって、主がすべてを益としてくださることをキリスト者は信じ、確信するのです。

 ゲッセマネの祈りを捧げられたイエス様のお姿に倣い、祈りにおいて、自分自身を明け渡していくこと、それは、すなわち、父なる神様のみこころと一つとされていくことです。これこそが、神の子として祈る者の最大の恵みです。そして、父なる神様に、子として祈ることができる、この関係そのものが救いなのです。与えられた信仰により、祈りを通して父なる神様との交わりを持つことができる…神の子として生きることは、祈りによって実現するのです。私たちは、その恵みの中で喜んで感謝しつつ、心の内にある思いを全て素直に明け渡し、父なる神様の「みこころのように、なさってください」と祈る者になろうではありませんか。