小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

迫害は、キリスト者である証拠

「強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。

 おののいてはならない。

 あなたが行くところ どこにでも、あなたの神、

 主があなたとともに いるのだから。」

                   f:id:koumi2016:20160627201619j:普通  ヨシュア記 1:9

                                  

<迫害は、キリスト者である証拠>      マタイ5:10

 イエス様を信じた人は、霊的に新しく造り変えられ、イエス様のご性質に似た者に変えられ始める、つまり、イエス様が祝福された人の姿に近づいていく…そこに真の「幸い」があるのです。今日のみことばも、私たちの心を深く探る言葉です。3節に及んで語られるほどの格別な幸いが、「義のために迫害されている」ことにあるという、人間の思考や経験と相対するイエス様の教えに、私たちは心から「アーメン」と言えるでしょうか。

 私たちは、主に従おうとするとき、しばしば世との対立を味わいます。「あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけではなく、キリストのための苦しみをも賜ったのです」(ピリピ1:29)と、パウロを通して語られている御言葉を思い起こす経験をします。確かに、信仰を与えられた後、世における生きづらさや、内なる葛藤が増したように感じ、平安を見失いそうになることがあるかもしれません。しかし、イエス様のための迫害、イエス様を信じ、従うゆえに起こる世との対立は、神の子どもとされたことの明白なしるしであると言えるのです。
闇は、光の存在を何よりも嫌います。それは光が闇のわざを照らし出すからです。義なるイエス様が現れることにより、表面的な義を装って生きてきた人々の偽善が明らかにされました。たとえ、イエス様が何も言わなくても、何もしなかったとしても、義なるイエス様の存在自体が彼らにとっては闇を照らす光、脅威となったのです。それは、私たちキリスト者に対する、周りの人々の態度にも同じことが言えるのです。私たちがこの世において、イエス様のご性質を身にまとい、イエス様に似た者になればなるほど、私たちに対する世の人の態度は攻撃的になるでしょう。それはどうしても避けられないことなのです。なぜなら、私たちは救いに与ることにより、霊的に新しく造り変えられ、目で見ることのできない神様を心から畏れる者と変えられたからです。そして、イエス様の十字架の絶対の赦しと愛の中を生きているからです。私たちは、イエス様に属する者であるが故にみことばに従って生きる時迫害されます。ですから、主が受けられた苦しみのほんの一部にでも与らせて頂いたことを感謝し、主の愛を深く味わう者と変えてくださいと祈り求める者でありたいと願います。そして、私たちを迫害する者たちが、主の愛を受け取る者と変えられ、同じ天に国籍をもつ者に変えられる日を待ち望みつつ、義のため、キリストのために迫害される者に約束された「幸い」に目をとめ、「天の御国」を仰いで歩んでまいりましょう。