小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

実を結ぶために

「人の子は安息日の主です。」

 

                   f:id:koumi2016:20160627201619j:普通 マタイ12:8

                                  

<実を結ぶために>    マタイ13:1~23

 イエス様は、譬えを通して聖書の真理を人々に語られたお方です。<br>
「たとえ」というのは、本来難しいことを分かりやすくするために用いる手段です。けれども、イエス様の「たとえ」はそれと同じではありませんでした。心の耳を開かなければ、たとえは謎に包まれたままであり、聞く耳のある者にとっては、真理を理解する助けとなるものです。
 イエス様が譬えた最初の種が落ちた所は道端です。どうして、種が道端に落ちることがあるのか当時の農業のやり方を知らなければ分かりません。当時は、種の袋を家畜の背に載せ、袋に穴をあけ、畑の中を歩きながら種を蒔き、その後、鍬を入れて種を土の中に入れる手順でした。ですから、すべての種(みことば)が良い地に落ちるとは限らなかったのです。種が落ちた場所が聖書の言葉を聞いた人の心の状態を現しています。道端の心の状態は、謙遜な心に砕かれていない、つまり悔い改めて福音を受け入れる備えが出来ていない頑な心です。これでは実を結べません。福音が語られても受け取る側に準備が出来ていないと鳥(サタン)が種を取り去ってしまうのです。
次の種は、岩地に落ちました。岩地は、薄く土があるので雨と日差しがあれば芽を出すことが出来ます。しかし、岩地であるため根が深くなく、雨が降らないとすぐに枯れてしまいます。それはみことばを聞き、最初は喜んで従おうとするのですが長く続か信仰の為に困難なことが起るとすぐに躓いてしまうのです。
三番目の種は、茨の中です。茨は、折角芽を出した植物の成長を妨害するものです。茨は、思い煩いや富の惑わしと置き換えると分かり易いでしょう。聖書のみことばがその人の心に入っても、この世の事に対する思い煩いがあったり、欲望の心が支配されていると折角与えられた信仰が成長できません。
最後の良い地とは、何も余計なもののない心です。聖書の真理を素直に受け入れる砕かれた心です。
 イエス様は、主の弟子である私たちに「良い地になりなさい」と命じられたというよりは、ご自身が遣わされた聖霊様によって、私たちが良い地とされ、神のみことばが百倍の実を結ぶという恵みの約束を告げているのです。私たちがみことばを聞いても悟らなかったり、一時的に喜ぶだけで何かあれば躓いて、思い煩いや富の惑わしに、心が支配されそうになることは絶えずあります。それでも尚、主(神)は、今も私たちにみことばを聞かせ続け、恵みの雨を注ぎ続けて下さり、蒔かれた種が、やがて豊かな実を結ぶ時が必ず来るのです。そして、神様が豊かな希望に満ちた、御国(神が支配されている心)を私たちのうちに現してくださいます。
 神様のお約束は真実です。私たちは希望をもって悔い改め、そのたびに、みことばから慰められ、励まされ、力を頂いて、「みことばに聞き、みことばを生きる」自分のなすべき分を果たしていくのです。