小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

系図に現された神の愛

「イエスは神と人とにいつくしまれ、
 知恵が増し 加わり、背たけも伸びていった。」

 

                   f:id:koumi2016:20160627201619j:普通 ルカ2:52

                                  

系図に現された神の愛>     マタイ 1:1~17

 ユダヤ人は、系図を大切にした民族です。本来、女性の名前を系図に載せる習慣はなかったそうです。しかし、マタイは、そこに女性の名を記しました。 しかも、その女性たちの名は、いわくつきの女性たちばかりです。マタイが彼女たちの名を記した目的は何だったのでしょうか。ともに考えてまいりましょう。
 マタイが福音書の冒頭に系図を記した目的が二つありました。一つは、イエス様がユダヤ人の王としての正統な王位継承者としての資格を持たれたお方であることを証明することです。二つ目は、イエス様が人類の罪の罰を身代わりになって受ける為に、地上に来られた救い主であることを明らかにする為です。
人間は、みな罪をもってこの地上に誕生します。罪とは、自己中心な心と言ったら分かりやすいでしょうか。人間は、誰でも自分のやりたいように生きたい、自分さえよければ周りの人が困っていてもなんとも思わないという部分があるものです。そして、一番の罪は、私たちを創造された神様の存在を無視して、自分が自力で存在しているものであると思い上がり、自分のいのちをどう扱っても誰にも文句を言われる筋合いはないと思うところがあります。でも、本当は自力で生きているのではなく、生かされている者であることを忘れてはいけないのです。
神の選びの民であったユダヤ人もいつしか、神様によって生かされている存在であることを忘れていたのでしょう。自分が罪人であることを忘れ、選びの民でない異邦人を罪人であると断罪し、心の中で人を裁く者となってしまったのです。でも、人を裁けるお方は、神様だけであることを忘れてはいけません。天に代わって悪を打つと正義の味方は、お決まりのセリフを言いますがそれは、神様しかできない裁く権利を侵害する越権行為であることを知らなければならないのです。人を裁く前に自分が神様から裁かれる日が来ることを心に留め、裁きは、神様にゆだね、自分の果たすべき事柄を忠実に誠実に黙々と取り組む者でありたいと願います。そして、この世界を創造された神様から愛されている事実をマタイが記した系図を通して受け取る者になりたいと願います。<br>
救い主の系図に誰の目にも罪人である女性たちの名を記したことの意味は、彼女たちの罪の為にもそして、私たちが日々犯し続けている罪のためにも、イエス様が身代わりとなってその罪の罰を十字架で受けてくださった。神様は、愛する独り子のイエス様を犠牲にしてでも人類を救おうとされたのです。これが系図に現わされた神の愛です。