小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

指導者たちに対する教会の責任

「これらのことが書かれたのは、
 イエスが神の子 キリストであることを、
 あなたがたが信じるためであり、
 また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである」   

                                                       f:id:koumi2016:20160627201619j:普通 ヨハネ20:31

 

<指導者たちに対する教会の責任>    Ⅰテモテ5:17~25

 初代教会における「長老」は、現代の教会における、「牧師」や「役員」に置き換えることができます。霊的権威が神から与えられている立場にある長老は、教会の教育と牧会の働きをしました。それゆえパウロは、教会を治めることと、みことばを教える務めにフルタイムで専念する指導者(牧師)に対し、教会は尊敬を現すようにと勧めています。ですから、教会は、牧師に対し言葉や態度で敬うだけでなく、報酬の面でも、金銭的に十分に支えることが求められるのです。
 次にパウロが手紙に記した内容は、牧師に対する戒規についてです。教会から尊敬を受け、金銭的にも支えられるべき存在である牧師が罪を犯したなら、重大なことです。それゆえ、その時の対処はかなり厳しいものとなりますが、それだけ慎重に取り扱わなければならないのです。
 教会は、人間の弱さに対しては、この上ない愛と寛容を示しますが、罪に対しては、厳格な処置がとられるところであることを忘れてはいけないのです。指導者たちの罪をそのままにするなら、教会全体が腐敗し堕落します。ですから、牧師だから役員だからといってその人たちが罪を犯していることが明白であるにも関わらず、その罪を否定し続ける場合、戒規を執行しなければなりません。また、教団と教会は安易に按手を授けるべきではありません。なぜなら、牧師や役員の召しを与えられた人であっても、明るみに出されていない罪がある場合があるからです。牧師や役員など、教団と教会がその指導者を任命する時、重大な問題や罪が見過ごされることのないように、決して慌てるべきではありません。補教師が正教師となる為の受験資格を得る為には、3年教会に仕えることを定めるのもその故です。補教師としてみことばを取り次ぐ働きの中で教師自身が問われることになります。自分は、すべてを知っておられ正しく裁かれるお方の御前に生かされている存在であることを事ある度に示されます。その間に、自分のうちにある罪が示され、その罪を言い表し、少しずつ頑な心が砕かれ、みことばを取りつぐ器として整えられるのです。そのようにして主が立てられた指導者たちに対する教会の責任と、一人一人、自分はどうあるべきなのかをもう一度吟味し、そこに神様の祝福があると信じて互いに励まし祈り合いながら、主のみことば、聖書の原則から離れずに歩む群れになろうではありませんか。