小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

神の目的に仕える

「主を待ち望む者は新しく力を得、
 鷲のように 翼を広げて上ることができる。
 走っても力衰え ず、歩いても疲れない。」
                

                                                 f:id:koumi2016:20160627201619j:普通  イザヤ 40:31

 

<神の目的に仕える>    ピリピ1:21~26

 パウロの生涯を言い表すとしたらどんな言葉がふさわしいでしょうか。私は神の目的に仕えた生涯であったと言うことができると思います。なぜなら、パウロはイエス様と出会い、彼の人生は大きく変えられ、自分の生きたいように生きる者から神の目的の為に神の目的に仕える者に変えられたからです。
 神の目的に仕える者とはどのような者なのでしょうか。御国には、争いも悲しみも憂いも涙もない、完全に自由で平和な日々が永遠に営み続けられる所です。パウロが地上に生かされるよりも御国においてキリストとともに居ることの方が良いと言ったのはとても自然な反応です。しかし、パウロは自分の願いよりも、神様が自分を召された目的に目を向け、自分に与えられた使命を全うするために地上に生かされるならば、それを受け入れると言っています。24~25節参照。このパウロの態度は、私たちも見習いたい点です。考えてみてください。すべての人間には、一人一人造られた意味と目的があります。それぞれが地上で果たすべき使命が与えられています。例外はありません。どんな人でも造られた以上、この地上に誕生したからにはなすべき使命が与えられています。
 イエス様にも地上に来られた目的と使命がありました。イエス様は、何のために地上に来られたのでしょうか。人々に仕えてもらうことを期待して地上に来られたのでしょうか。いいえ、イエス様は、仕えるために来たとおっしゃっています。イエス様を信じる者にはイエス様と同じように生きることが期待されるのです。救いに与る前、私たちは仕えることよりも仕えられることを望む者でした。しかし、救いに与ると仕える者になりたいという願いが与えられるのです。それはイエス様に似た者になりたいという願いが信じた人の中に生じるからです。
パウロも神と人に仕えた人でした。そして、パウロは神様が必要とあれば、どんな状況でも生かされ、その目的を果たすことができると確信していたのです。彼は、この手紙を書いたとき、投獄されていましたが解放される日が必ず来ることを信じて手紙を書いています。
 私たちも、希望をもって今、何をしたら良いのか。主に伺いつつ、いろいろなことを前向きに計画し、みこころならばその計画が実行できるように祈りつつ、主のわざに励む者でありたいと願います。
主の業とは、神様を信じることです。神様を信じるとは、みこころだけが実現することを信じて主の命令に従って生きることです。