小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

健全な愛の成長を目指して

「愛は寛容であり、愛は親切です。
 また人をねたみ ません。
 愛は自慢せず、高慢になりません。」
                

                                                 f:id:koumi2016:20160627201619j:普通  Ⅰコリント13:4

 

<健全な愛の成長を目指して>    ピリピ1:9~11

 愛が健全に成長するために必要なもの、それが「知識」と「識別力」です。どうして、愛が健全に成長するためには「知識」が必要なのでしょうか。それは知識を無視した愛は、盲目的な愛、感情的な愛にすぎないからです。盲目的な愛は、親子の間では子どもの独立心を奪い、親に対して依存心の強い子どもにしてしまうことがあります。ですから、知識が必要なのです。
 パウロが祈り求めた知識は、上より与えられる知識です。その知識とは、啓示の言葉である聖書です。しかし、聖書知識を沢山蓄えても正しい識別力(判断力)がなければ有効に用いることができません。イエス様を信じ、霊的に新しく造り変えられ、正しい判断力を与えられ、何が本当に価値あるものなのか。判断できる者に変えられます。その知識と判断力を得るとありがちなのは、自分が以前より偉くなったように錯覚し傲慢になることです。傲慢から身を守る為には、純真さを失わない事です。純真さを持ち続けるには、常に学び続ける謙遜さが必要です。私たちはこの地上の生涯が終わるまで絶えず、成長し続ける者として造られた者であることを覚えたいと思うのです。もう聖書に書かれている真理をすべて知ったと思った時から私たちの成長はそこで止まり、停滞するだけでなく、そこから後退がはじまります。ですから、私たちは、常に前に向かって新しく造り変えられ続け、成長することを追い求め、イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされ続けることを心から願う者でありたいと思います。その義の実とは愛の実(ガラテヤ5:22~23)です。
 イエス様は、弟子たちに互いに愛し合うようにと繰り返しお命じになられました。それは弟子たちが互いに愛し合っていなかったからです。弟子たちは、互いに誰が一番偉いかとイエス様が十字架に架けられる直前まで言い争っている者たちでした。私たちはどうでしょうか。残念ながら人間のうちにはもともと神に対する愛も人に対する愛もありません。本当に人を生かす愛は、十字架に現わされた神の愛(無条件の愛)だけです。その愛を注がれた者であることを思い出し、受けた愛で自分を愛し、人を愛する者に変えていただこうではありませんか。
 私たちが聖書に親しみ、みことばを学び続け、みことばに従って行動し、互いに愛し合うことを学ぶ者になる時、そこに愛の実が結ばれ、神の栄光と誉れが現わされることになるのです。