小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

主のからだである教会の豊かさ

「あなたがたは、今日のように、
 私たちの神、主と心を一つにし、主の掟に歩み、
 主の命令を守らなければならないのです。

              

                                                 f:id:koumi2016:20160627201619j:普通 Ⅰ列王8:61

 

<主のからだである教会の豊かさ>    エペソ4:7~10

 今日は、主のからだである教会の豊かさについて考えてみたいと思います。キリストのからだを構成する私たち一人一人は生まれも育ちも、能力も才能もひとそれぞれです。年齢も幼子から年配の方まで幅広い層の人々が神様によって召し出され、今、一つの家族とされています。ここに主のからだの豊かさがあります。教会に来なければ信仰をもつことがなければ出会うことも、交わることもない者同士が同じ主の霊により、導かれ、信仰告白に至る者とされ、同じみことばの糧に与り、互いに助け合い、励まし合い、宣教のために労する者になることが期待されています。
 主に選ばれた者である私たち一人一人に神様が与えてくださった賜物があることを覚えたいと思います。Ⅰコリント12:4~6参。
それぞれに神様が与えてくださった賜物は自分勝手に用いられるべきものではなく、教会の一致を促進させるために企画され、実行されるために私たちに与えられたものであることを覚えたいと思います。なぜなら、私たちは自分にない賜物に目を向け、つぶやいたり、不平を言ったり、ねたんだり争うこともあるからです。Ⅰコリ12:12~27参。
神様は、私たち一人一人に異なる賜物を与えてくださり、それを用いて主にお仕えすることを求めておられるのです。そして、賜物が恵みによって主から与えられたものであることを覚えたいと思います。
どうして賜物が恵みによって主から与えられたものであることを覚える必要があるのでしょうか。それは私たちが高ぶることがないためです。私たちは、油断しているとすぐに自分の能力や才能を誇る思いが湧き上がり、自分と人を比べ、自分は他の人より優れていると思い上がることがあるからです。神様が一番お嫌いになられることが高慢です。パウロも自分が高慢になる傾向があることを自覚し、同じようにエペソの教会の兄弟姉妹が高慢にならない為にそれぞれに与えられた賜物が主から与えられたものであることを詩篇68篇18節を引用することで教えようとしました。
主がそれぞれに異なる種々の賜物を私たちにお与えになったのは、キリスト者一人一人の奉仕によって、教会が建て上げられ、成長し、一致を保つためです。ですから、私たちは、キリストのからだ全体の一致と全体の益のために与えられた賜物を主のために用いる者になりたいと願います。
 私たち一人一人を召してくださった主をこれからも本気で礼拝し召された者にふさわしい歩みを実行できるように互いに執り成し祈り合いながら主のからだの豊かさを体験してまいりましょう。