小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

エペソの教会

「正しい人の救いは主から来る。
 苦難のときの彼らの砦から。」

                                     
                f:id:koumi2016:20160627201619j:plain 詩篇37:39

 

<エペソの教会>      黙示録 2:1~7

 2節「わたしは、あなたの行いとあなたの労苦と忍術をを知っている」エペソの町は、異教の一大都市で、キリスト教には不利な町でした。もったいないぐらいの励ましの言葉。イエスさまに知っていていただいているというのは、大きな励ましです。エペソの教会は完壁ではありません。しかし、その小さな教会をイエスさまは知っていてくださる。
 2節「あなたが、悪い者たちを我慢できず、使徒と自称しているが実はそうではない者たちを試して、その偽りを見抜いたことを知っている」。当時、キリストの弟子の一人だと自称しながら、実は異端の人々が小アジアにはたくさんいました。今の世界でもそうですが、それなりの魅力をもって近づく異端の人々を、教会は試して見抜くだけの霊的な洞察力がありました。つまり、イエスさまが彼らをほめているのは、迫害や試練に耐える忍耐力。教えの正しさ過ちを見抜く洞察力。そして世の中と妥協しないまじめな信仰です。それをエペソの教会の人々は持っていると彼らをほめてくださっているのです。しかし、主はエペソの教会に対して、一つの問題を突きつけられました。
 4節。「あなたは、初めの愛から離れてしまった」。エペソの教会は、 信仰の規準をしっかりと保ち、何が正しい教えかという、信仰的な正しさについて、揺らぐところがありませんでした。世の中と妥協しないまじめな生き方をしていました。しかし、イエスさまが、あなたには言うべきことがあると突きつけられた問題は、とても大切なことで、それは、「愛」でした。正しい教えを貫き、まじめな生き方を大切にする教会でした。エペソの教会は、大人の教会です。福音の教えを忍耐をもってよく守ったその面では成熟して分別のある大人の教会でした。パウロ、テモテ、ヨハネが牧会したと言われる程の伝統的な教会です。しかし同時に、教会としての奢りや自信も芽生えていたのかもしれません。いつの間にか頭が頑なになっていきます。知らず知らずのうちに、柔らかく、誰でも受け入れ、どんな機会も逃さずに伝道し、みんなの間に保っていた暖かい「愛」がわからなくなっていったのです。
 イエスさまは、エペソの教会への言葉を通して、私たち小海キリスト教会にも気が付かせてくださいます。永遠に残るものは、伝統ではない、正しさや正論よりも、何よりも信仰、希望、愛であって、その中で最も偉大なものは愛であるということを。私たちは必ず「初めの愛」に戻ることができる。なぜなら、こんなわたしの罪をその身に背負い、それを海の深みに投げ込んでくださった主は、私たちに永遠の愛を願っておられるから・・・。
つまり私たちが悔い改めた時、神さまは私たちの罪を赦すだけではなくて、もうすっかり忘れてくださっているのだと。