小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

古い規制と新しい規制

「神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。
 私は決して、ゆるがされない。」
                      f:id:koumi2016:20160627201619j:plain 詩篇 62:2

 

<古い規制と新しい規制>           使徒10:9~23

自分のうちにある偏見によって人を差別していることはないでしょうか。ペテロは長い間、神様が定めた古い規制に従ってきたために、その規制を破ることに対し罪意識をもっていました。神様がイスラエルの民にお与えになった規制の一つに食べ物のことがありました。レビ記11章参照。

イスラエルの民に対する食べ物の規制には、神の民と異邦人との区別を明らかにするという目的とイスラエルの民の健康に対する配慮が含まれていました。神様は、ペテロに食べ物に関する規制が変更されたことを通して、福音がユダヤ人だけでなく異邦人にも開かれたことを教えようとされたのです。10:12~20参照。

ペテロは、異邦人にも福音の戸が開かれたことを幻と聖霊の声を通して知らされることになったのです。私たちも、ペテロと同じように偏見や差別意識に囚われていることはないでしょうか。この人には、福音を伝えたいがこの人には伝えたくない。そのように考えていることはないでしょうか。私たちは、自分が受けた恵みを忘れてはなりません。私たちは、良い人間だったから救われたわけではありません。真面目だったからその生き方の故に救われたわけでもありません。みな同じように目に見えない神様の存在を無視して自己中心に生きてきたものです。ローマ1:20~23参照。

エス様は、誰に対しても平等に差別されることなく、福音をお伝えになられました。社会から疎外されている人々の所にも足を運ばれ、彼らの友となり、彼らに神様の愛をお伝えになったのです。イエス様の周りには、取税人や遊女や悪霊から解放された人々もいました。社会から汚れた者であるとレッテルを張られている人々に対しても、イエス様は救いの手を差し伸べ、彼らに救われるチャンスを提供していきます。私たちは、どうでしょうか。福音を語る相手を選んでいることはないでしょうか。執り成し祈る対象を制限していることはないでしょうか。私たちの愛は、自己中心なものです。

エス様は、愛のない私たちを裁くことなく、受け入れ愛しておられます。その事が本当の意味で分かる時、イエス様の愛に応答し、イエス様が喜ばれることを実行する者になりたいという願いが起きてきます。イエス様はすべての造られた者のためにご自身のいのちを捧げられたのです。イエス様が十字架で流された血は、すべての人を完全にきよめます。イエス様がいのちがけで愛されたすべての造られた者に福音を届けること、それが先に救われた私たちに与えられた使命です。

私たちは、「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」マタイ5:44参照。との新しい規制に従って、偏見や差別意識を捨て、誰に対しても愛をもって福音を伝える者になることが期待されています。イエス様からいただいた勇気と愛をもって、大胆に福音を人々のもとに運び、与えられた使命を果たす者になれるように互いのために執り成し合い励まし合い福音宣教に努めてまいりましょう。