小海キリスト教会 礼拝メッセージ

小海キリスト教会の礼拝メッセージと御言葉を紹介します。。

キリスト者の希望

「主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、

あなたのいのちを守られる。」

                        f:id:koumi2016:20160627201619j:plain 詩編121章7節

 

キリスト者の希望> 使徒4:1~4

 ペテロとヨハネは、イエス様の復活を宣べ伝えることにより人々を救いに導いていました。彼らの宣教は、実に力強いものだったのです。イエス様の御名によって目の前でいやされた者がいるのを目のあたりにした人々の心は罪の悔い改めに導かれていきました。その様子を見ていた当時の権力者たちの心情は穏やかではありません。なぜなら、当時の権力者であった祭司長や長老やサドカイ派に属する人々は死者の復活や奇蹟や天使の存在を認めようとしない人々だったからです。私たちも、救われる以前、復活を信じる人々を嘲り、復活を受け入れることを頑なに拒んできた者たちです。死んだ人間がよみがえるなんて信じられない。自分の目で奇蹟を見てみなければ聖書に書かれてあることを信じないと抵抗してきたことでしょう。しかし、聖書は復活が実際に起きたことを当然のこととして取り扱い何も特別なこととして復活を語っていなのです。なぜなら、すべてのものを無から創造された神様に不可能なことは一つもないことだからです。また、人間がどんなに天地創造を否定したとしても神様が造られた世界があることを誰も否定できません。同じように、復活の出来事を否定しても、復活されたイエス様と出会った人々が実際にいた以上、その事実を否定することはできません。

弟子たちは、実際に見たことを見ていないと偽ることができなかったのです。また、復活が事実であるならば復活を否定する行為は、神様に逆らう行為となることも覚える必要があります。ペテロとヨハネを捕えたサドカイ派の人々は現実主義者でした。彼らは、自分たちの理性で受け入れられるものだけしか認めようとしません。私たちは、復活をどのように受け入れているでしょうか。私たちの生き方に力がないとしたら、それは復活を大胆に宣べ伝えていないことが考えられます。教会において力が向けられるのは、イースターよりもクリスマスであることがその事実を物語っているように思うのです。復活よりも誕生の方が語り易い。誕生は、救われていない人々も経験していることだからでしょう。でも、それでは福音において大切なことを十分に語っていないことになります。死んで終わりの宗教では魅力はありません。希望もありません。この世に希望がもてない状態となる時、まことの救いを求める人々も起されます。私たちの希望は復活です。私たちは、すでにイエス様と共に十字架に死に、イエス様が復活された時、イエス様と共に新しくされた者です。すでに新しくされた者としての自覚をもって日々、復活されたイエス様から力をいただいて主と共に歩む者になりたいと願います。「だれでも、キリストのうちにあるならば、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」Ⅱコリント5:17